ちょうど、あれは、2012年頃だったのかなー。
時間軸と空間軸から外れたところにある、体験だったので、
明確にいつだったのかは、分からない、、でも
その頃であることは確か。
もう、限界の限界まで、怖れと苦しみが極まったとき、
がっくりと膝をついて、天に両手をあげて、お手上げ万歳。
神様・・!と、自分の全てを預ける境地になったとき、
私は光の体験をした。
クラウンチャクラが開いて、私と天とが、光の太い柱で明確に繋がった。
とても神々しい体験だった。
でもそれは時空を超えた体験だから、
起きてるときなのか、夢の中なのか、いつなのか、どこだったのかも、
分からない。
でも、私の人生において、最もリアルで明確な体験の一つです。
光の体験をしたあとは、スピリチュアルなこと、不思議なことが、どんどん
起こるようになり、それが日常になった。
当時は毎日が奇跡の連続で驚きまくってたけど、今ではそれが、
日常の当たり前のこととして受け入れている。
人の周りが光って見える、
山も動物も、生命は全て光っていて、色がついていて動いていて、
その光の色が、その生命の物語を語っていた。
必要な情報は、私の頭の中に降ってくるようになったり、
耳に声として入ってきたり、
自然界は、啓示に満ちていて、外側に答えを求めなくても、
どうしても必要な答えは、内側から来るものなのだと、そのときに分かった。
それまでも私は、ずっとスピリチュアルなことを学んできていたし、
すでにその頃には仕事にもなってきていた。
でも、スピリチュアルを生業としていながら、
全くスピリチュアルでもなんでもなかったんですね。
何も分かってなかった。
だから、占い師や占星術師を名乗っていながら、
スピリチュアルを否定したり、分からないものに対して攻撃的になることも
あったりした。
全てを委ねるようになるということは、
何もしないで、怠けて、ありのまま〜〜〜で過ごすことなのか、というと、
実際は、全然そうではない。
膝をついて、神様にお手上げ万歳して、光が降り注いだあとの私の
人生は、それまでとは一変して、とても忙しくなった。
魂のコースのベルトコンベアがぐんぐん、動き出して、
人生が、ガラガラと変わっていった。
そこに選択の余地はなかった。
神様に、宇宙に、魂に委ねたのだから、そのベルトコンベアのなすがままに、
乗っていく以外にはないのだ。
一寸たりとも、退屈してる暇も、怠けてる暇もなかったし、
体も、どんどん変わっていった。
今目の前にある、やるべきことを、ただひたすら、やる毎日。
今も、そして今日もそれは、続いていて・・・。

今は、魚座時代から水瓶座時代への2000年のシフトのときですから、
何が起こったっておかしくない、世の中がひっくり返ったって不思議じゃない。
そんな中、世の中は、怖れのエネルギーに、染まってくる。
悲しみと、恐怖に飲み込まれ、どうしたら生き延びられるか、
また、いろんな情報をあれもこれもと求めて、安全な場所、安全な食べ物、
生きるにはどうしたらいいのか、大切な人を守るにはどうしたらいいのか、
でも、どれだけ、外側に答えを求めても、苦しみと恐れはおさまらない。
そんなふうに、自分の力で「全て」なんとかしよう、できる、と思ってても、
もーどーにもならないくらい、苦しくなる、
そんなときが、人生には誰しもあるのだと思う。
自分でいろいろ調べたり、勉強したり、
その勉強したことを元に、有害物質を避けたり、危険を避けたりすることは、
もちろん、時に大切なことなんだけど、
全てそれで、回避しようとしても無駄だと思います。
自分を恐怖世界にどんどん陥れ、がんじがらめにしてしまいます。
でもそれを、限界までやってみたらいいと思うんです。
限界までやってやってやり尽くしたときに、ひとひらの光に繋がるのかもしれない。
