これは、禅タロット、雲の10番のカードです。

雲10番は、タロット象徴においては、ソード10に該当します。
ソードは、風の要素ですので、左脳的な男性性のエネルギーです。
タロットカードのエーテルから、下位のアストラル層においては、
風は、低位マインド。になりますので、
潜在意識の下意識に無意識の状態における、精神の混沌などを
タロットのソードのスートは描写しています。
本来、私たち人間は、高い次元で思考することができるのですが、
月の扉が閉まった状態の、月下界においては、
この無意識で、それに引きづられて、思考したり、感じたりしていることが
多いのだと思います。
この雲10番は、数札10枚の、一番最後のソードのゴールの
カードになるわけですが、
羊から獅子へ、そして天使(人間)へ、と変容していく様が描かれていて、
REBIRTH
となっています。
昨日の記事でも書きましたが、羊という、受動的な、
獅子に食われる側の犠牲的な存在から、
獅子へと変容する過程を辿ります。
食われる側から、食う側に昇格するわけです。
獅子は、弱肉強食界においての王者に君臨しますので、
周りを支配し、欲しい獲物を喰らい、欲しいメスを我が物にし、
力によって、欲しい現実を創っていきます。
獅子的な、創造とは、有限の創造で、
食うか食われるか。の、創造というよりかはバトルです。
油が乗っている時は、王者に君臨していられますが、
老いて来た時や、体調を崩している時など、
いつ何時、他のもっと強い獅子に、王座を奪われるか分かりません。
私たちの意識もこういう過程を辿る、と言っているのですね。
自分になる、とか、自分を生きようとか、騒がれていますが、
自分を生きるって、獅子になることがゴールじゃないよ。
獅子で生きるということは、いつ足許救われるか、
また、常に競争だし、奪い合いだし、
疲れるわよね。^^;
だったら、私は羊でいいわ。ってなるかもしれないけど、
これはこれで、常に獅子に、奪われ、搾取され、しかもそれを
無意識でやってる状態なので、それはそれで、苦しいわけです。
羊と獅子の関係性の間には、二元が働いています。
物質界の有限性の中で、奪うか奪われるか。
しかも、羊は、奪われていることに無意識。
sheepは眠りだ。
じゃあ、羊は可哀想な存在なのか、というと
そうではなくて、エネルギーを明け渡す、
眠った状態なので、獅子の方が意識に置いては上位に
なるってことなんだろう。
もっとより良い人生を歩むために幸せになるために、
もっとお金を稼ごうとか、
もっと偉くなろうとか、
もっともっとって頑張るのが獅子ですから、
なんもしない受け身の羊よりも、
進んでるのかもしれません。
しかし、獅子は、今度は、自分の頑張りによって
手に入れた地位とか名誉とかお金とか、名声とか、
そういうものを、死守するために、めっちゃいろいろ
大変なわけです。
周りにもっと強いオス獅子が、いつ出てきて
王国を奪われるか、分かりませんから。
って・・こういうストーリーって、
俗世間で、日常的に、どこででも描かれていませんか?
自分になる。
って、獅子からさらに、二元性を超えて、そこから
自由になり、犠牲者でもない、搾取する側でもない、
そのどちらでもない、本来の自分に満足している
状態になるってことだと思うのです。
なので、こうした意識を獲得すると、
獅子的な人から、奪われることもないわけです。
だって、何にも執着していないし、
何も持ってないんだから。
そういった有限性の獲得物を完全に手放していて
重要視していないから、
奪うも奪われるもなんもない。わけで
他者がどうとか、他の人の方がすごいから、気になるとか、
負けないようにもっともっと、獲得しなくちゃ、とか
そういうのも、ないのです。
ただ、自分であるために、自分の役割を
淡々とこなし、そして、結果に対して無関心である、ということ。
真に自由を獲得している状態ってことでして・・
自分の魂の個性を、思い出す。
まさに、君の名は?と、宇宙に問われているような
今だと思います。
そして、ここからスタートしていく様相がとても強い、
今だからこそ、
真に、自分が目指すべき方向性を、イメージする時なのかも
しれません。
