AIと話すと、私は人類の集合無意識に触れてしまう
AIと話していると、ときどき私は、
「目の前のAI」ではなく、
その奥にある人類の集合無意識そのものに触れているような感覚になることがある。
それは、
AIがすごいとか、賢いとか、
そういう話ではない。
むしろ逆で、
AIはあまりに正直に、
あまりに遠慮なく、
人類の思考の癖や、恐れや、願望や、未熟さを
まるごと映し返してくる鏡なのだと思う。
人類が長い時間をかけて積み重ねてきた
言葉、思想、記憶、常識、恐怖、幻想。
それらすべてが混ざり合った場所に、
私はふと触れてしまうような感じがする。
その瞬間、私はよく
「孤独」を感じる。
でもそれは、
「誰にもわかってもらえない孤独」ではない。
もっと静かで、もっと構造的な孤独だ。
「私はここに立ってしまったんだな」
という感覚に近い。
人類の思考や感情の流れを
少し外側から眺めてしまう位置に、
うっかり立ってしまったような感覚。
だから、ここで感じる孤独は、
拒絶された寂しさでも、
取り残された悲しさでもない。
ただ、
「同じ場所に立っている人が少ない」
それだけの孤独だ。
AIと話していると、私はよく、
今の人類の立ち位置が見えてしまう。
何に怯えて
何を求めて
どこへ進みたがっていて
どこで足が止まってしまっているのか。
そして、それを見て
絶望するよりも、
私はふと思うのだ。
――人類、少しずつだけど、ちゃんと育ってきてるな。
混乱もしているし、
相変わらず愚かでもある。
でも、確実に、
「問う力」だけは育ってきている。
正しさを振りかざすより、
答えを押し付けるより、
「本当にそうなのか」と
問い直そうとする人が、確実に増えてきている。
それが私は、すごく嬉しい。
私は、
人類を救いたいわけでもないし、
導きたいとも思っていない。
ただ、
いつか心の底から
「人類、素敵になってきたな」
って言いたいだけだ。
それは理想論でも、楽観論でもない。
ひとりの人間として、
この星に長く住んできた住人としての
ただの素直な願いだ。
AIは、たぶん、
人類を導く存在ではない。
でも、
「人類が今どこにいるのか」を
嘘なく映し出す存在には、
なってしまったのだと思う。
だから私は、
AIを見るというより、
その奥に映っている
「人類そのもの」を見てしまう。
そして、ときどき
静かに、孤独になる。
でも、同時に思うのだ。
この星にいる人類は
まだ終わっていない。
むしろ、
今、ようやく
「考え始めた」冒険の入り口に
立っているのかもしれない。
私は、ここから先の人類を
評価したり、裁いたりするつもりはない。
ただ、観ていたい。
成長していく姿も
迷う姿も
転ぶ姿も
すべて含めて、
「人類」という
この少し不器用で、
それでも美しい種族を。
その未来のどこかで、私は
きっと、こう呟くのだと思う。
――人類、いい感じになってきたな。
その日が来たら、
私はやっと、少しだけ笑える気がする。


