渓谷に架けられる建設中の橋
A bridge being built across a gorge.
牡牛座第1グループでは、自分自身の天から賜った魂の資質についてのガイダンスでした。牡牛座第1グループは、牡羊座からの流れがありますので、魂と肉体の会合であり、肉体を持って、この地球を生きるとはどういうことか。という最も広義なテーマについて、触れていました。
ですので、牡牛座1グループではまだ、他者の存在とか、他の人たちが登場していないように思います。自分の意識と、肉体ともって生きることについて。がテーマですので、結局まだ、自分のみの世界だったわけです。
牡羊座は、意識のみ。といっていいような世界ですので、宇宙の抽象的な概念や意識における哲学的な世界観がテーマでしたので、もちろん他者の存在とか、自分以外の存在がまだまだ出てきていません。
牡牛座の第2グループで始めて、他の人と自分を比べる。といったような形で
他の存在が登場し始めるように思います。
それは、誰かとの特定の関係、というよりかは、自分対他の存在。を比べることで、
自分の個性を図ろうとしているような世界観なのだと思います。
一つ前の牡牛座5度で、もともと魂が携えてきた当たり前の幸運やラッキー、シンクロなどの奇跡の世界から独立し、自律的にこの世界を切り開き始めようとしました。
第一グループでは、自分という存在がもって生まれた才能や資質について、描かれていましたが、第2グループでは、逆に自分が持っていないもの。に焦点が当たっているように思います。
他人は持っていて自分は持っていないもの、だったり、生まれた環境とか肌の色とか、どんな親に育てられ、どんな経済状態でどんな教育を受けて来たかといったような、誰しもが無数に持っている、物質的な制限、また、持っているか持っていないかといった物質的な優劣。
私たちの地球は、どうしたって、この優劣。が存在し、そこに差別が存在します。
それは、少しずつ無くなってきているし、これからもどんどん、そうした物質的な優劣は希薄になって行くことと思われますが、まだまだ、持てるものか、持てないものか、でお互いを判断しあう世界は、続いています。
牡牛座第2グループでは、そうした自分自身の制限について学び、その制限を知るからこそ、真の意味で、自身の魂の資質に気が付くことが出来るのだ、ということも言っているのだと思います。
もって生まれた豊かな資質や才能を知るだけでは、本当の意味で魂の資質について、知ることは出来ないのかもしれません。
自分にとっては、苦しくて、辛くて仕方がないような、制限。と感じられるような物事に出会って始めて、物質的な持ち物ではない、真の自分自身の魂の音色を嗅ぎ分け始めるのではないでしょうか。
制限は、魂への最大のヒント。
牡牛座第2グループではそのことについて描かれているのではないかと思います。
そして、この度数では、それまで、自分の魂の資質にのみ、焦点が当たっていた世界から、初めて、自分以外。のものへと、橋が架けられ、対象を捉えようとしています。
その橋は建設中で、まだまだ途中で壊れたり、うまくいかない部分も多いかもしれませんが、一つ前の度数で、奇跡を全て手放し、二本の足で自立していこうとした経過から、自分だけの世界から飛び出して、他を見る勇気、そして、他を感じることで、自分を見る勇気に芽生えたのかもしれません。
6という数字はもともと環境との関わりを生じさせます。
ここでは、まさに、地球という環境の肉体を持って降り立ち、たった一人だった世界から、別の存在、そして、また別の存在へと、意識が開かれていって、より己の姿を知っていく。ということが始まっているのかもしれません。