魔術と魔女術の違い私の考える「魔女」とは何か
私にとって魔女とは、特別な存在ではありません。
一言で言えば「母」。二言で言えば「自然との調和」。
そして、もう少し言葉を使うなら、
**「愛のために学び、守るもの」**です。
魔女とは、愛するものを守ろうとする存在。
それはとても小さく、そして同時に、一番大きな行為です。
母が子どもを想うとき、
自分の命さえ差し出してしまえるあの感覚。
「はい、どうぞ」と、いとも簡単に差し出せてしまうあの感覚。
その愛が芽生えたとき、人は強くなります。
理屈ではなく、命がけで行動できるようになる。
その原動力はすべて、愛です。
魔女とは、この愛の力を知っている人。
そしてもうひとつ、魔女に欠かせない性質があります。
それは「自然と調和すること」。
愛を学び始めた人は、
やがて自然の声を聞くようになります。
風の声、土の声、植物の声、動物たちの気配。
そして自分自身の内なる声。
魔女は、自然の恵みを奪うのではなく、
それを愛するもののために、暮らしの中に受け取る人です。
薬草を知り、季節の流れを知り、
命の循環を身体で理解しながら、生きていく。
知識は机の上で完結するものではなく、
野山を駆け、手を汚し、失敗しながら身についていくもの。
魔女は、知識を「生きるために」学ぶ存在です。
もうひとつ、魔女という存在には大切な側面があります。
それは「境界に立つ人」であること。
物質と非物質のあいだ。
理性と直感のあいだ。
現実と霊性のあいだ。
魔女はどちらか一方に偏らず、
両方を行き来しながら調和する人。
霊性にひらいていながら、
ちゃんと地に足のついた存在です。
どこか遠い世界の住人ではなく、
生きることのど真ん中に立つ人。
そして、これは「特別な能力を持つ誰か」の話ではありません。
実は、魔女とは、もともと
どの家にも一人はいた存在でした。
家を守り、命を育み、季節を読み、
家族の体調を気づかい、
食べるもの、住まう場所、眠りを整える人。
そう、昔は当たり前に「母」が担っていた役割。
だから私は、魔女の代替語として「母」という言葉を使います。
もちろん、実際の母親である必要はありません。
子どもを持たなくても、
男性であっても、
年齢が若くても。
「愛するものを守ろうとする心」を持つ人すべてが、
魔女の素質を持っています。
ただ、それぞれに役割の現れ方が違うだけなのです。
そして最後に、大切なこと。
私にとって、魔女とは「魔術を使う人」ではありません。
私の座右の銘があります。
「ハートの伴わない霊能力は、魔術に堕ちる。」
能力があっても、
知識があっても、
技術があっても、
そこに愛が伴わなければ、それはただの力でしかありません。
魔女術(ウィッチクラフト)とは、
ハートの伴った行為であること。
愛があるか。
命への敬意があるか。
守る気持ちがあるか。
そこがすべてです。
だから私は、
魔女を「不思議な存在」とは思っていません。
魔女とは、
暮らしの中で、
愛を選び続ける人のこと。
それが、私の考える魔女です。
