本来の魔女とはどういう存在だったのか?

いま、世の中では「魔女」という言葉が、
占い師や能力者、スピリチュアルな人の代名詞のように使われることが多くなっています。

でも、それは本来の魔女の姿とはまったく違います。

魔女とは、未来を当てる人でも、呪いをかける人でも、
不思議な力を使う特別な存在でもありませんでした。

本来、魔女とは
生活の知恵を持つ人であり、
命を守る人であり、
自然とともに生きる人だったのです。

中世ヨーロッパで「魔女」と呼ばれた人たちの多くは、
村で薬草を扱い、出産を助け、
病気の人を看病し、食べ物を保存し、
季節の巡りを読み、暮らしを支えていた女性たちでした。

いわば「生活と命の専門家」。

ところが、時代が進むにつれて、
医療や知識、自然とのつながりを持つ女性たちは、
既存の権力にとって「都合の悪い存在」になっていきます。

人びとの命に直接関わる知識を持ち、
教会や権力に頼らずとも人を癒せる存在は、
恐れられ、排除され、やがて
「魔女=危険な存在」というレッテルを貼られていったのです。

そして、いつしか

魔女は
呪いをかける者
闇の力を使う者
怪しい能力者

というイメージに塗り替えられていきました。

でもそれは、
歴史の中で作られた虚像であり、
本来の魔女の姿ではありません。

本当の魔女とは、

食べること、眠ること、癒すこと、育てることを
誰よりも真剣に引き受けてきた人たち。

命を粗末に扱わず、
日々の暮らしの中で
自然と交渉しながら生きてきた人たち。

未来を当てるよりも、
今日を生きる術を知っている人。

呪いをかけるよりも、
病んだ人の背中に
そっと手をあてられる人。

それが、魔女でした。

魔女とは、
特別な存在ではありません。

むしろ、

どの家にも一人はいた存在。

家の中で、
暮らしを見つめ、
命を守り、
季節を読む役割を担ってきた
「母」という存在に、
その姿は重なります。

もちろん、
実際に母親である必要はありません。

魔女とは、

愛するものを守ろうとする人、
その愛のために学び、
その愛のために手を動かす人。

誰かのために火を起こし、
誰かのために食事を作り、
誰かのために薬草を調合し、
誰かのために祈る人。

それが魔女です。

だから私は、こう言いたいのです。

占いができなくてもいい。
能力がなくてもいい。
スピリチュアルでなくてもいい。

魔女であるために必要なのは、
「ハート」です。

ハートの伴わない力は、
魔女術ではなく、ただの技術にすぎません。

ハートを伴わない霊性は、
やがて人を救うのではなく、
人を縛るものになってしまいます。

魔女とは、能力者ではありません。

魔女とは、生き方なのです。

暮らしの中で、
愛を選び続ける人のこと。

それが、本来の魔女です。