魔女とは、癒しの存在ではない。

魔女とは、癒しの存在ではない。

世の中には、
「魔女=癒し」
「魔女=スピリチュアル」
「魔女=不思議な能力」
というイメージが溢れています。

けれど、私の中でその定義はまったく違います。

魔女は「背負う側」の存在である

魔女は、守られる側じゃない。
癒される側でもない。

魔女とは、
守る側。
抱える側。
見張る側。

祈られる人ではなく、
祈り続ける人。

誰かの人生の背中に、
黙って立つ人です。

魔女は「怠けを肯定する存在」ではない

「頑張らなくていい」
「無理しなくていい」
「稼がなくていい」

それらは一面ではやさしい言葉でも、
魔女の生き方としては、嘘になります。

なぜなら、魔女とは

愛のために、走る存在だから。

魔女は、知の労働者であり、身体労働者である

・寝ないで本を読む
・自然の中で身体ごと学ぶ
・毒と薬を見分ける
・失敗も引き受ける
・結果が出なくても続ける

魔女は、ゆるくも、軽くもありません。

むしろ、

修行僧よりストイックで、
職人より執念深い。

魔女は「癒し屋」ではない。「現場監督」である

魔女は、

「大丈夫だよ」と
肩を撫でる存在ではありません。

それより、

「まだ足りない」
「覚えろ」
「生きろ」

と、言う存在です。

魔女は、魂の職人である

魔女は、癒しを売る人ではありません。

生き方を、
思想を、
日常を、

削り出す人です。

その前にまず、
自分を一番叩く人でもあります。

「ただ生きていい」に、違和感がある理由

「稼がなくていい」
「ありのままでいい」

これらに違和感を覚えるのは、

それが、
覚悟という概念を削いでしまう言葉
だからです。

魔女にとって「生きる」とは、

採集し、
読み、
覚え、
試し、
失敗し、
耐え、
繰り返すこと。

すべて含めて、

「生きる」です。

魔女は、「楽に生きたい人」ではない

魔女は、

楽に生きたい人ではありません。

魔女とは、

ちゃんと、生き切りたい人です。

魔女とは、なにか。

愛のために
知を集め
体を使い
心を削り
現実を動かす人。

眠らず、
学び、
試し、
責任を引き受ける生き物。

生きることを、
「仕事」にする覚悟を持った人。

この言葉に、きっと共鳴しない人のほうが多い。

でもそれでいい。

魔女とは、もともと

万人に好かれる存在ではない
からです。

魔女とは、
かわいい存在でも
癒しの存在でも
不思議な存在でもない。

くそ重たい存在である。

それでもなお、

魔女であろうとする人のために、
私はこの言葉を書いています。

もし、これを読んで
胸がざわついたなら、
きっとあなたの中にも、魔女はいます。

おわりに

これは「再起」ではありません。

覚悟の再点火です。