年老いた船長が揺れている

An old sea captain rocking.

13の数字は、素数であり、サビアンにおいて最も活動性の高まる度数であると同時に、前例のないカリスマ性を発揮する場面です。

サインの前半において直線的に勢いよく育ってきたそのサインの性質がここに来て、マックステンションに高まってきています。

13度は誰とも違う、今までに前例のないもの、今までの秩序をぶち壊して、

新しいルールを構築していく、そういう勢いと活力があります。

獅子座は元々、活力があり、テンションが高いサインです。

そして、個性的で、唯一無二の自分を発見していこうとする火のサインです。

ですから、イメージ的に獅子座の13度って、誰にも勝る、強き、カリスマ的な

きらっきらの王者のような象徴が出てきてもおかしくない場面です。

しかし、ここで出てきているのは、年老いた船長です。

かつては船乗りとして一世を風靡した、海の男だった・・きっと幾多の武勇伝も経験してきたことでしょう。

かつての彼は、正に、正真正銘の、カリスマ。だったはずです。

しかし、今は年老いて、揺れている。

揺れているのは、ロッキングチェアのようなものに腰かけて、ゆったりと

余生を楽しんでいる姿にもイメージできますが、

もしかすると、中心の軸が定まらない、なんとなく心が揺れている、ブレている、

自信を無くしかけている、そんなふうに見えなくもないところです。

11度では創造すること、遊ぶことを、ただ、楽しみ、ただ遊ぶだけで、

沢山の人が惹きつけられてきた。それは、周りに働きかけようとか、周りを惹きつけたいと意図したわけではなかったのです。

ただ、心の底から創造を楽しんでいる、それだけで、自然と周囲の人の目を惹いて沢山の人が惹きつけられてくる。そういう物語でした。

そして、次の12度では、その印象をもっともっと確証のあるものとして、

自分の中に留めおきたい、固定化したい、そして、もっとたくさんの人を惹きつけ、

賞賛されたいという欲望が出てきたのでした。

そのことで派手に演出し、創造を楽しむよりも、自分を演出するためのスキルや技、術の世界方へ傾倒していった物語でした。

ビジネスや物を売る世界では、この術の世界のスキルが必要になることが多いですし、そうした術のスキルを全くバカにして採用しないのもまた、バランスを欠いてくるのですが、やはり、11度で大きな樫の木が出てきているように、

根幹となる揺らがないしっかりとした幹と根っこという道の世界があってはじめて、

枝葉末端の術の世界を楽しむことが出来る。

そういうお話でしたね。

12度では、術の世界に偏りすぎた感があるのかもしれません。

自らの根本的で本質的な創造のエネルギーよりも、外側に張り付けた

「人目を惹く演出」のほうに、比重が大きくなっていった。

その結果として、一時的には、人は集まってきたかもしれないけれど、

それは永きに渡らなかった。

盛衰の必然性と共に、流行や相手のニーズが去ってしまえば容易に必要とされなくなるものだと思いますし、外側に張り付けたものは、無限の創造性の供給源にはなりえません。どこかで枯渇し、尽きるものなのだと思います。

例えば術のスキルを駆使して、世間的に有名になったり、商売が成功したりして、

たくさんの利益を得たりして成功者になっても、それが、魂の創造と関わってなければ、年老いると退屈になってしまうものなのかもしれないなぁと思います。

何を求めているのか。が、とても重要になると思うのです。

ヴェーダの考え方には、アルタ、カーマ、ダルマ、モクシャの意識の4つのレベルがありますが、アルタは、物質的な安定、所有、経済に関与します。

そして、カーマは、五感の喜び、楽しみ、など全てを司ります。

仕事をする際に、このアルタやカーマの領域を求めて、頑張る原動にする人はとても多いものです。

豊かになるために頑張る、たくさん所有するために頑張る、美味しいものをいっぱい食べるために頑張る、安定した生活を守るために頑張る、

そういうこともとても大事なことですし、そこから目を背けることはできません。

しかし、それだけが最終目標になってしまうと、それが到達されてしまうと

退屈になってしまうのかもしれません。

それは、一つの目標にはなり得ますが、魂の最終目標にはなり得ないからです。

でも、マインドはそれを目標にして頑張ってしまう。そういう人たちがたくさんいる。

でも、それは、得ても得ても満足するものではありませんから、

いくら得ても満足できなくて、じゃあ、もっと得れば、満足できるのかもしれないと

錯覚を起こし、もっと得たい、もっと所有したい。そのためにはもっと稼がないとならない、そのためには、もっと成功してもっと有名にならなくてはならない。

そのためには、自分のやりたいことよりも、周りに賞賛されること、人気が出る事、たくさん売れる事をやらなくてはならない、と

どんどん、本質からずれていってしまうのかもしれません。

このような生き方をしていると、もっともっとが終わらなくて、魂はいつも退屈してしまう。

そして、年を取った時に、過去の栄光にしがみつき、過去の武勇伝をいつまでも語っている、一歩間違えると老害・・まで行かなくても、ちょっと迷惑でめんどくさいおじいちゃんになってしまう。

それに対して、魂の仕事に忙しい人は、年をとればとるほど、忙しくなる。

活力的になる。この肉体が尽きるその時まで、魂の仕事で忙しい。

所有することや、形あるものを手に入れることが目的だと、それを達成してしまえば、暇になってしまう。退屈で仕方ないのだ。

だから、昔話ばかりする、過去を生きるようになる。

獅子座13度というと、最初に述べたように、もっときらきらしたカリスマ王者みたいな人が登場しても良さそうですが、同じ性質のものが組み合わさることで、エネルギーが偏りすぎて、反転が起こる、ということなのかもしれません。

12度で、獅子座的なエゴイズムが最大限に出てきた反動が、13度で調整作用として現れているという風にもイメージできるのではないでしょうか。

そういった意味で獅子座13度は、自分のことを魅力的に語る人の象徴として受け取ることが出来るように思います。

自分とはこういうすごい人間で、こういう魅力のある人で、こういう人生を送ってきたから、こういう素晴らしい人なんだ、みたいなことを自分で語って、

それを聴いている人にすごいですね!って思わせる。そういう技かもしれません。

獅子座の前半のエネルギーがクライマックスに近づいているこの13度では、

獅子座の個性や、周囲へのアピール力がマックスまで高まってきているところですから、自分のすごさを、自分で語って、相手に知らしめようとする場面なのかもしれません。

勿論、そのことで、すごいですね!って思われることもあるかもしれませんが、

本当に人を惹きつける魅力とは、必要なタイミングでそれに相応しいことをする。ということだと思いますので、次の14度ではそのような場面が描かれていると思います。

きっと本当にすごい人、というのは、自分で自分のことをすごい人だなんて言わないし、過去の武勇伝を語ったりなんてしないのでしょうね。

ただそこに存在するだけで圧倒的なオーラを放つものなのだと思います。

しかし、本当に本当にすごいカリスマとは、周りの人達からすごい人!って

思われる人ではなくて、関わる相手が、自分自身のことを特別なすごい存在だってことに無言で気が付かせてくれるような人なのだと思います。

相手の人、一人一人の魂の煌めきに、スッと、無言でスポットライトを当てて

気が付かせることが出来るような人が真のカリスマなのでしょう。