ウィンドウショッピングをする人々

Window-shoppingers.

12度は、どのサインにおいても、そのサインの背景にたゆたゆとある、「法則」のようなものを見せてきます。12という数字は、12サインや、12時間、60分などといったように、この物質界の法則に関わる数字です。

サビアンの12度においても、ある種、ここまでの流れを踏まえて、じゃあ、法則として表現したときにどうなるか、といったようなことを表しているように感じます。

12は閉じ込められ、さかさまに吊るされて、そして、新しい意識に目覚めるのです。

ですので、法則にがんじがらめになり、飲み込まれることで、今まで見えなかった究極の未知の意識へと繋がっていくのだと思います。

牡牛座12度のウィンドウショッピングは、牡牛座の性質が最も分かりやすくそのままに表現されているサビアンだと思います。

まさに、ザ、物欲。といった世界観をそのままに表しています。

私たちは、欲しい。という欲望を誰しも持っています。

食欲、性欲、物欲、嗜癖、そうした一過性の快楽とどう付き合うか、というのは、

人生における究極のテーマだったりもすると思うのです。

健全な欲望を持つことは肉体を適切に保つうえでも人生をよりよく生きる上でも

ある程度、必要なものだと思いますが、その欲望が行き過ぎることにおいて

起こる弊害も、上げればキリがないほどあるでしょう。

牡牛座を法則化したら、どうなるか。

本当にまさに、ウィンドウショッピング。になるのだと思います。

街を歩いて、あれもこれもと目移りして、あれも欲しい、これも欲しい、でも全部を手に入れることは出来ない、でも欲しい、もっと欲しい。これを繰り返している状況が思い浮かびます。

11度では、自分の庭を飾って人さまにも自分の豊かさを見せたい。というところまで欲望が高まりましたが、ある意味、それは、自分の庭、という限定範囲に収まっていたとみることも出来ます。また草木を愛でる、という行為は、まだとてもナチュラルな快楽のようにも感じます。

草木の香りや、色の美しさを愛でて、庭を彩る、それは、とても健全な欲望にも見えます。次の12度では、家から出て、今度は街をうろつき始めています。

そして、どこまでも果てしなく続く商品に目移りし、全てが欲しいという、非常に強大な欲望が垣間見えます。

12度は法則化する、と言いましたが、ここでは牡牛座の欲望の性質がはっきりと表れ、そして、未知の意識とは、その果てしないキリのない欲望が及ぼす、

虚構の世界についても同時に感じさせ始めるのがこの度数の特徴だと思います。