ベールをはずされた花嫁
A bride with her veil snatched awaw.
サビアンにおける12度は、第3グループに入り、強い活動力で一気に高みへと跳躍していこうとする中で、12度や、14度といった偶数の数字は、
その有り余る推進力の中で、より、効率的に、先へ進めていくための、
調整役であったり、無駄の省き役であったりといったような役割を果たしているように見えます。
どのサインでもそうなのですが、11度から15度までの第3グループは、
強い活動性を持ちます。
そのサインの前半のテーマを、他のどんな追随も許さないほどのパワーで、
力づくで達成しようとします。
その中で、その暴発しまくるエネルギーを、調整していくことで、
より効率的に、目標を達成していくことが出来る流れを作っているのが、
12度や14度の偶数のサビアン度数になっているように思います。
12度は、3が4つ、4が3つ、6が2つ、2が6つのように、割り切れる数字がいくつかありますので、これらの数字のエネルギーも包括しています。
また、12が2つで24時間であったり、12が5つで60。これは、60分とか、
十干と十二支を掛け合わせた60の干支にも現れる数字で、
12か月とか、12星座、二十四節気、七十二候、など、全て12に関わる数字です。
ですから、12は、自然界の法則であり、物質界の法則であり、
12や60は物質の法則に閉じ込められる、とも言うことができます。
タロットカード12番の大アルカナは、吊るし人のカードで、人物が手足を縛られて、さかさまに吊るされているカードです。
これは、完全に四面楚歌、八方ふさがりの状態で、正に手も足も出ない、
物質的にはがんじがらめの状態です。
12というのは、第2グループの3のエネルギーを持ちますから、2という世界と対応する中で3という創造性をもって発揮していくという世界観です。
吊るし人の完全に閉じ込められたがんじがらめの状態で、創造性?なんて結びつかないかもしれませんが、私たちの創造性とは、正にこのがんじがらめの
手も足も出ない状態で起こるものなのかもしれません。
挫折や、失敗で、再起不能な時、もうこれで万事尽くす、終わりだ、というときにこそ、私たちは内なる真のパワーや、創造性が出るものなのです。
手足をもがれて、完全にお手上げ万歳、もう何もなすすべがない、このような状態に、私たちは本来のパワーである創造性を発揮する・・
なかなか現代では、そういう機会に恵まれることは少ないかもしれませんが・・
ですから、選択肢がいっぱいあって、手段もいっぱいあって、うまく行かなければ言い訳が出来る状態では、創造性などなかなか出るものではありません。
12の数字のエネルギーは、そうしたことから、「法則」であると言えます。
この自然界には、法則があって、私たちはその法則の中で生きていて、
人間も、動物や植物などと同じように、自然界の法則のなかのひとつの歯車なのですよね。
ですから、人間も、この法則の中に飲み込まれ、その法則の中で生きて、死んでいくしかなかったわけです。
その法則は完全に知られざるもので、膨大で深遠なもので、人間の知性レベルで分かり得るようなものではないのかもしれません・・
しかし、人間には、自由意志というものがあり、己の足で動いて、欲しいものを取りに行くという機能が備わっており、変えられない宿命や、自然界の法則の中で
生きていながら、自らの欲しいものを掴みたい。という、願望もまた、達成することができる範疇がある。
宿命と運命があるとしたら、宿命は、変えられないものであり、人間も動物や植物と同じように、その絶対的な法則の中にあるのです。
これに対して、運命は、自分で変えていくもの。強い意志をもって、変えて行こうとするもの。変えられるものなのかもしれません。
しかし、それは、相当に意識的にならねばならないことで、強い意志の力がなければ、大概ほとんどの場合、私たちは、宿命に飲み込まれ、自然の法則と共に、
生きて死んでいくものなのでしょう。
人間は、窮地に追い込まれたとき、後がない時、背水の陣の状態になったときにこそ、今まで、見たことも無いような自分でも知らなかったパワーが出る。
創造性が、出るものなのです。
それは、どうしても変えたい、という意志のパワーです。
私たちは意志の力によって、自らの人生を切り開き、状況を変えていくことが出来るのです。
これが、自由意志であり、人間が持ちうるものです。
ハーレムという虚構のおかしな現実から飛び出し、未来派の絵を描いて生きようとした男は、過去の怖れ妄想に負けそうになり、過去の怖れと未来への希望のはざまで葛藤します。
そして、11度ではならば、状況を完全にコントロールしてやろうという強い意志の力を持つに至ります。それは、強い恨みパワーでもああるのですが、
怖れ妄想に打ち勝つには、この恨みパワーを使うしかなかったし、今はそれが一番、効果的だったのです。
そして、12度では、自らの自由意志によって、運命を変えられるのならば、
その根底にある、自然界の法則を掌握し使いこなしたい、と思うようになるのです。
このサビアン度数を分かりやすい例に例えてお話しするとすれば、
少し前に流行った、引き寄せの法則とか、思考は現実化するみたいな
ああいった世界観をイメージすると良いかもしれません。
当時、あの思想が流行った時には、あの法則を掌握すれば、
欲しい未来を創造し、豊かに成功して、理想の現実を生きることが出来るという
そういうワクワク感を、もったものだと思います。
人間の意識が、現実を創造する。
これは、間違ってはいないのだと思いますが、その法則を完全に解明しようだなどとは、とてもおこがましいもので、何千年と長い歴史の間、各宗教や哲学体系が
やってきたことでもあります。
また、心理的なものだけでなく、化学や、数学や、天文学や、物理学、自然科学などあらゆる分野で、研究されてきたことだと思います。
しかし、ここでいう、法則解明の願望とは、自らの欲しい未来を得るために、
法則を解明したいということなのかもしれません。
ですからそれは、真理探究とか、宇宙の法則に真摯に挑んでいるというよりかは、
まだその理解をするに至らない知性の段階で、真相を解明しようとする、在り方が
イメージされます。
安易な法則で、真相を解明した気になって、それを実践して起こってくる弊害もまた沢山あったのではないでしょうか。
この度数で出てくる、ベールをはがされた花嫁というのは、神智学のブラヴァっキー婦人の著書、ベールをはがされた花嫁をもじったものではないかと思われますが、自然界の法則を解明するという意味で使われるキーワードです。
12の数字は法則に関わりますから、ここまでの乙女座のストーリーの流れをおさらいしますと、乙女座的な物質的な差異の頂点に君臨するために、
必要な手段を得るために、自然界の法則を解明しようとする流れがイメージされます。
全てをコントロールし、管理したいのが、11度までの流れですから、
知らないこと、未知のことがあるのが、我慢ならないのです。
例えば、それまで、現実的なロジックの世界、ビジネスの世界でずっと生きてきた人が、いきなり心理学とか、学び始めて、心の世界も掌握しようとするような流れってよくあることだと思います。
ロジックの世界では、ある程度成功を収めたけれども、限界を感じて、
心理分析を学んで、心の法則を納めれば、もっと現実をコントロールできるのではないか、という流れなのかもしれません。
がしかし、心理学は、その後に続く、膨大なスピリチュアル、形而上分野への
入口に過ぎません。心理学の歴史は浅いですが、そこから繋がる世界は、
膨大過ぎるほど膨大です。
もっと成功したいからって、そのためのスキルとして、ちょっと学んでみようくらいの気持ちで、理解できるような世界ではないからです。
でも、だいたい、初期の段階では、心理学から入ってきた人は、その後に続く、スピリチュアルな膨大な世界に圧倒されてしまい、スピなんて!といって、感情的になって否定しはじめる過程が、数年続きます。(ということも多い)
(スピを否定し始めたら、霊的に開いてきたサイン。なのですが・・・)
それはさておき、
こうしたことから、この12度の度数は、管理コントロールしたい。という意識から、
自然界の法則を知りたい。知らないことが許せない、という意識から派生する
探求心なのかもしれません。
乙女座は、この後、16度以降、魚座が入ってきて、輪郭を超えた世界を体験していく流れが始まりますから、12度のこのベールをはがされた花嫁の度数は、そうした後半の世界も少し垣間見せる度数なのだと思います。