噴水で鳥に水をやる子供

A child giving birds a drink at a fountain.

サビアンにおける22度とは、21度で、そのサインの性質が成熟した形で最も高く跳躍し、挑戦を始める男性性のエネルギーに対して、

高くジャンプして、より新しい世界へとシフトし、その足を踏み入れた新しい世界への着地点が、22度。といった感覚になります。

ですから、21度の男性性のエネルギーで大きく跳躍した結果、新しい世界の扉が開き、その新しい世界の最初の、着地点が22度の女性性のエネルギーになる。のだと思います。

21度で挑戦した結果、開けた世界、手に入れた世界が22度で、ここでは、自分で能動的につかみに行くというよりかは、意図した結果、それが、引き寄せられてくる、意図したものに対する結果を手にするのが22度といった感じなのです。

21度では海が出てきていました。

そして、22度では噴水が出てきます。

どちらも水が象徴されますが、海は、広大な自然界のものであり、人の大きな集合無意識、自然の仕組みのようにイメージできます。

対して、噴水は人工物であり、都会の町の中に、作られたひと時の憩いの場といった感じです。

海は膨大で、計り知れないものがあります。

その全貌はどうしたって、掴み切れるものではないものです。

21度の海岸の群衆はこうした膨大な集合無意識を示しており、元来、人の手に負えるものではない性質のものです。

21度は非常に高いテンションと活動力を持ちますから、この元来、手に負えないものに対して、挑み、挑戦していっているのです。

海岸の群衆は海を見て、その計り知れないものの全貌は知る由もないのですが、

海を前にして心は解放され、休日を楽しんでいる様子です。

決して海の中に何がいるかとか、海の奥深くまで潜っていくことはないのです。

21度の跳躍とは、それだけ、膨大なものに対して挑んでいく、果てしのないほどの活力を感じさせるものです。

もしかしたら、溺れて死ぬかもしれない、荒波に飲まれてしまうかもしれない、

それでも、21度では、挑んでいくのです。

天秤座は人の心と無意識の海で、泳ぎ、その魍魎とした荒波を、泳ぎ通すことがテーマなのですから。

こうした21度の、ダイナミックなチャレンジに対して、22度は、町の片隅にある、

噴水を相手にしています。そんなに大それた集団無意識ではなく、

人の心の、内面的な部分にフォーカスしているのかもしれません。

例えば、芸能人や有名人は、見たこともない何千人、何万人という人たちに対して、自分自身をアピールし、たくさんの人の集団無意識に働きかけ、評価を得て、ファンを獲得しようとします。

マーケティング手法なども、人の無意識に働きかけて、購買意欲をそそり、

欲しい、買いたい、という気持ちにさせる心理的な手法だと言われますよね。

このように、たくさんの人の無意識に働きかけ、世界とダイナミックに関わっていくのが21度の資質だとしたら、22度はもっと、狭い範囲の例えば個人の心とか、

内面的な部分に関わっていく性質なのかもしれません。

鳥というのは、象徴的には、霊性や、スピリチュアルな資質について関係します。

人間の霊的な資質、内面的な資質に対して、子供が餌を与えている、ということなのかもしれません。

子供、というと、純粋で、利害関係なく、無垢な性質で、鳥に餌をあげている様子がイメージされます。

海岸の群衆のように、より多くの人の集団意識を扱えば、例えば、武道館や東京ドームを満杯にするくらいのファンを持つ芸能人や、

年商何百億、何千億という売り上げを上げる企業のマーケティング手法のようなものを、ここではイメージさせるのですが、

22度の、この度数では、それほど、たくさんの人を相手にしているわけでもなさそうですし、何か、意図があって、自分の魅力をアピールするとか、ビジネスマーケティングをするとかといった雰囲気でもなさそうです。

もっと小さな範囲で、純粋な資質で、他者の深い部分と関り、内面的なサポートをしていくといったイメージなのだと思います。

例えば、何万人ものファンを持つ芸能人は多くの人を楽しませたり、熱狂させたりすることが出来ますし、大企業であれば、ある程度良いものを大量生産し、コストを下げ、値段を安くして、たくさんの人に、商品を届け、喜んでもらうことが出来ます。

しかし、こうした、有名な芸能人や、大企業は、個々人と、関わったり、個人的なサポートをする、ということは、ほぼ不可能に近いと言えるでしょう。

有名な芸能人が、ファンの一人一人の話を聞いて、一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりすることは不可能だし、

大企業が、一人一人のお客様の体質や、希望を聞いて、合った商品をオーダーメイドで作る、ということも不可能なのです。

ですから、有名人や大企業にしかできないことがあるのと同時に、彼らには絶対にできないことというのもあって、その絶対にできないことに対する、「ニーズ」というものが、存在するのです。

こうした、一人ひとりの、個人的なニーズに対して、サポートしていくことが出来るのが、この22度の能力であり、才能なのだと思います。

例えば、個人に対してのカウンセリングや、個人セッションをしている、心理カウンセラーや、コーチ、コンサルタント、占い師、などといった人たちがこの度数のサポーターとして思い浮かぶのではないでしょうか。

例えば、整体師とか、個人医院とか、鍼灸師とか、こうした職業も、一人一人のニーズに合わせて、関わっていく仕事になります。

彼らは、高い対人感性スキルがなければできない仕事ですし、ひとりひとりの人のニーズを聞き、丁寧に関わっていくことを仕事としていると思います。

こうした一人一人に丁寧に関わるといった職業は、一人一人に時間をかけていきますから、21度で見たような、膨大な数のファンを相手にすることもできませんし、

年商何百億のような大企業のような売り上げを上げることもできません。

しかし、個人に対するオーダーメイド的なサービスを求めるニーズというのは、

今も昔も変わらず、ずっとあるものなのです。

こうした個々人への内面的なサポートをしていく職業に就く人達は、

その道の職人であり、内面性や、霊的な資質を重視する人達であり、

限られた少ない人数の人たちを相手に、丁寧なサポートをしていくことをライフワークとしている人たちなのです。

ですから、ここでは、「子供」に示されるように、純粋な意図をもって、働き、

それを必要とし、求める人に対して丁寧に関わっていく資質なのだと思います。

その人の内面性や霊的な資質に目覚め、開花するために必要なサポートを適宜入れていくことが出来る、これもまた、21度とは全く違う、特殊技能であり、才能なのだと思います。

どちらが優れる、劣るということではありません。

21度と22度は男性性と女性性のエネルギーで、ここは対になるところですから、

どちらの資質も、必要で、どちらかが正しいというわけではないのです。

そうした意味では、21度の海岸の群衆ではより、集団と対外的に関り、人の意識を外へと開いてく、自分自身に(アピールする側)へ、惹きつけていく性質なのに対して、22度は、相手自身の内面性に入り込み、その内的な資質と個人的に関り、サポートしていく資質のように思います。

例えば、私たちが、誰か、芸能人や有名人を好きになり、ファンになったり、

何かの商品や、サービスを欲しいと欲するとき、気持ちは外へ外へと向き、

その外側にあるキラキラしているものに憧れている状態なのだと思います。

その憧れの対象に惹きつけられ、魅了され、ドキドキワクワクしている状態です。

これに対して22度では、専門家が、直接、自分自身の内側に介入してきて、何らかの専門的なサポートをしてくれる状況という風にイメージすると、

気持ちは、自分自身の内側へ向き、他者のサポートを通してより、自分自身の内面的な資質と向き合う方向へと向くのだと思います。

ですから、21度のインフルエンサーは、自分自身にファンを惹きつけるのに対して、22度の専門家は、自分自身をあまり前に出してはいけないのです。

相手の人が真に自分の内側と向き合えるように、サポートする側はシャドウに徹しないといけない。これが出来るのが、サポート職のプロなのだと思います。

天秤座第5グループのこの度数はどちらも、非常に高い、対人感性能力を持つに至っていますが、21度ではより男性性的なエネルギーで、膨大な人の集団無意識に働きかけるのに対して、22度では、より深く、個人の内面に対してサポートを行う高いスキルを持つに至ります。

そして、その21度の男性性的な資質と、22度の女性性的な資質が統合されて、表現されるのが、23度になります。