互いの知識の範囲に橋をかける方法を模索する人類
Humanity seeking to bridge the span of knowledge.
サビアンにおける29度は、11の2になりますから、二極性を表します。
11は、通常の2に対して、2を土台に置いた2で、奇数で素数ですから、
他の追随のない、個性を持ち、対象に対して、自己主張していく男性性のエネルギーを持ちます。
これに対して、29は、3を土台に置いた2ですから、2の受動性や二極性と
11の個性を相手に対して主張していく革命のエネルギーとが
統合され、バランスよく表現されるのが29の数字のエネルギーです。
サビアンにおける29は、あと一つでサインの物語が終了しますので、
29度のこの度数では、今あるサインと、次のサインが半々のエネルギー量で、相対し合って、交じり合います。
ここでは、天秤座のエネルギー半分と、蠍座のエネルギー半分が、出会い、混ざり合い、次なる蠍座サインに移行しようとしていっている場面なのです。
天秤座では、ここまでの流れの中で、27度では、飛行機から地上を見渡すような、マクロな視点を手に入れていました。
ここまで天秤座は、一人一人の人の個性や性格、言い分やニーズを、尊重し、大切にする在り方を追求してきました。
そして、それぞれの意見があって、それに耳を傾け、相手の性格や特徴と、
自分の性格や特徴が違う面を見つけて、違いを認めること、そして、違いを認めたうえで、この社会の中でよりよく生きていくにはどのように立ち回れば良いのかという高いスキルを身に着けてきました。
天秤座では、この世界の中にいろんな人がいて、みんなそれぞれ個性が違って、それぞれにニーズがあって、その中で、よりうまく立ち回り、生きていくためには、どうしたらよいのかということを、ずっと模索してきたのではないでしょうか。
相手を無視して、この世界で生きていくことはできないし、
自分の最大のパートナーである、肉体を無視してこの世界で生きていくこともできない。
そして、この世界は、自分の意識がたった一つあるだけでなく、自分と同じような存在たちがたくさんいて、必ず相手があって成り立っている世界だということを、この天秤座で初めて知る物語なのです。
それぞれが違う、そのことを知り、認める。この過程が天秤座のテーマで、
違いを知ったうえで、どのように立ち回っていくべきなのか。のスキルを磨いてきたのです。
そして、たくさんの人のたくさんの個性やニーズを知った天秤座は、27度で、飛行機のマクロの視点を手に入れて、もはや細かい一人一人の個性については、気にしなくても良いようになりました。(もはやすでにみんな違うことは知っているからです)
そして、28度では、輝く光の中に昇華するような意識状態にまで至っています。
もはや上空の飛行機からの視点すら超えて、光の中で、善も悪も、二極性もないところから世界を認識しているような悟りのような状態にいるとも取れます。
このような過程を経て、29度では、互いの知識に橋を架ける方法を模索する人類、となっています。
天秤座の世界では、互いに違う、ということを知ることからはじめました。
そもそも、12サインでは、乙女座までのサインでは、実質上、自分以外の存在はまだ、存在していません。
牡羊座から乙女座までは、自分を形成するフェーズであり、他者は存在しないのです。
そこから、天秤座に入ると、相手、という存在が出現してきて、その世界観と
対応していくレッスンが始まります。
世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があって、みんな違う、ということを天秤座で初めて知るのです。
天秤座は、牡羊座に対して二極のエネルギーを持つ7番目のサインですから2と7のエネルギーを持つサインです。
ですから、二極性、陰陽の受動性の状態にありながら、7の推進力、活動力といった男性性のエネルギーも持ちます。
ですから、相手との違い、他者の個性を認めたうえで、じゃあ、その世界のなかで、自分はどうよりよく生きていくのか、相手との違いのなかで、自分のニーズをどう果たしていくのか、についてのスキルを獲得していきます。
ですから、2のエネルギー(相手との違い)がありながら、あくまでも自分自身が前に進むためのスキルを磨いていきます。
そして、天秤座は風のサインですから、違いを認めたうえで、やり取りをしますが、
あくまでも風的なかかわり方になります。
例えば、都会に行くと、いろんな人が住んでいて、それぞれに生活があり、それぞれの家庭のルールがあり、暮らし方があり、そこはみんな違うわけですよね。
でも、都会の人たちはそんなことは当たり前ですから、他人がどう暮らしていてもそれは、その人の自由なのだから、と認め合っていきます。
また、いろんな考え方の人がいること、自分とは違う意見を持つ人がいること、を
知性的な人ほど、相手と自分の違いを受け入れ、認めることができます。
それは、知性によって、いろんなことを学んできたからこそ、いろんなことを知っているからこそ、いろんな考え方をする人がいることも、知識として知っているからできるのです。
これはとても天秤座的な在り方で、あくまで、知識としてそれを習得しているわけです。
ですから例えば、前途の都会の暮らしでは、それぞれの家庭をどのような暮らしをしていても、誰も首を突っ込みませんから、孤独死をする人が増えたり、困っていても、助けを求められずに孤独になってしまう人もまた増えてしまうというのも事実です。
違いを認めることは大切ですが、違いを認めすぎることで起こってくる不和というものもまたあるのだと思います。
例えば、これが田舎であれば、町内会の活動とかが盛んに行われていたりして、
町内会の役員が毎週集まって会合を開いていたり、回覧板がしょっちゅう回ってきたり、なんやかやと交流が多いわけです。
その中で面倒なことも多々あるでしょうし、このネット社会のご時世に、いちいちリアルで集まって会合をする必要があるのかとか、町内会費を現金で集金する必要があるのか、とか、回覧板を紙で回す必要がどこにあるのか、と思うこともあるのですが、でもその面倒なアナログなやり取りをすることで、コミュニケーションの機会が増え、あそこにはどんな人が住んでいて、とか、回覧板が回ってこないと、なんかあったんじゃないかとか、お年寄りが一人で住んでるから注意して見ていこうとか、なるわけです。
ですから、天秤座は、他者との違いをあくまでも知性によって、知り、分類し、自分がよりよく生きるために生かすことが出来るし、平等で、平和的な在り方を実現できるのですが、違いを知ったうえで、では、あの人とは考え方がまるで違うから、
このくらいの距離感を保とうとか、あの人とは、付き合いをやめようとか、そうした解決ができるわけです。
でも、人間関係って、そうそう理性的な解決ばかりが出来るわけではないのではないでしょうか。
まったく考え方も生き方の哲学も違って、どう考えても、付き合いたくない人とでも付き合わなくちゃいけないとか、違いを認め合って、良い距離感で~など、
なかなかまかり通らないことも出てくるわけです。
そういった意味で蠍座は、相手と深く、どこまでも濃く、関わり合っていく。
そこには、天秤座的な違いを認め合って平和的に~な世界観は通用しない場合も多々あるのです。
恨み節、激高、怨念、嫉妬、腐れ縁、共依存、天秤座の理念だけでは到底、通用しない人間の感情というものを担当しているのが蠍座です。
それでも私たちは、誰かと深く関わりたい生き物で、深く愛し合いたいと願うのです。
この後、蠍座に入るとこうした蠍座的感情世界のレッスンに入っていくわけですが、29度のこの度数では、天秤座と蠍座が半々ずつ交じり合っていますので、
互いの知識の範囲に橋を架ける方法を模索し始めるわけです。
天秤座の世界観のみであれば、互いの理念や考え方が違えば、それを認め合って、ある程度距離を置き、感情的にならない関係性にとどめておけばいいのですから、互いの知性に、橋を架ける必要もなかったのです。
いやなら離れればいい、感情的になるくらいなら、近づかなければいい、
そのことで、互いの違いを認め合えるのです。
しかし、その全く考え方の違う人間と、同じ屋根の下でずっと暮らせ、とか、
毎日会社で顔を突き合わせなくてはならなくなった場合、どうでしょうか。
そんな綺麗事言ってられるのでしょうか。
ですから、ここでは、互いの知性の間になんとか橋を架ける方法を模索し始めるのです。
他者と自分の違いを天秤座で初めて知ったことで、今度は蠍座は、相手ともっと深く関わっていこうとします。
そして、深く関わることで、この地球に生まれてきた醍醐味でもある、「感情世界」を堪能し尽くそうとする、魂の果てない欲求なのでしょう。