聴いては喋っているオウム
A parrot listening and then taking.
サビアンにおける19度は、19の10の1ですから、ゴールでもありスタートでもあり、といった度数です。
10から始まった第2グループは、ここで終了を迎え、第3グループに入っていくステージでもあります。
タロットカードの19番は、太陽のカードで、私たちが二極性の肉体の性質を超えて、エーテルボディ、多次元な自分に目覚めていく、太陽意識(魂)に意識が開かれていく、そういう意味合いのカードです。
サビアンでも19度まで来ると、16度以降始まった、後半の統合のストーリーが、17度、18度で、究極的に内面に入り、スピリチュアルな意識が開き、18度で月の扉のありかを見つけます。
自らの無意識に出会うのです。
それまでは、自らの無意識に無意識であったために、堂々巡りのパターンから抜けることが出来ず、同じパターンを無意識で繰り返し続けていました。
しかし、18は、9ですから、月のエネルギーに関連する度数なのです。
ここで、自分自身の月(潜在意識)に触れ、自らのパターンに気づいていくのです。
蠍座17度では、自分自身の子どもの父である女、のところで、
自らの内側に無限の創造性の源泉があることを知りました。
そして、蠍座18度で、豪華な秋色の森では、自らの中に在る、
自然界の絶対的なルール。
肉体を持ち、この地球で生きる。肉体と心と意識の三位一体で、織り成す
創造のルールがあることを発見し、それを効率的に使うことが最も
パワフルであることを知ったのでしたね。
この誰しもが持つ、最も偉大なパワーを知ってしまえば、それ以外の小手先の法則など、ゴミのようなものだと、分かるのです。
こうして、自らの内側の究極的なパワーを使うことを知った人は、19度で、
おそらく、高次の聴覚のようなものを、得るのだと思います。
私たちが多次元な意識に目覚めてくると、高次の視覚(クレアボヤンス)や、高次の感覚(クレアセンシェンス)、高次の知性(クレアコグニシャンス)などが、開かれてきて、肉眼では見えないものが視えるようになったり、欲しい回答が、音や声で入ってきたり、情報が光ったり、
光の情報が頭の中にダウンロードされてきたりといったことが普通に起こるようになってきます。
19度の聴いては喋ってるオウムの状態はまさにその状態が始まった初期の状態ではないかと思うのです。
18度で、自然界の流れに身を任せることのパワフルさを知った人は、
自分の頭でこちゃこちゃ考えたことよりも、宇宙のダイナミックな潮流に乗ってしまった方がいかに効率的かを知っているので、
宇宙が与えてくるものを、そのまま、ごちゃごちゃ考えず、やってしまうようになるのだと思います。
だって、宇宙が言ってくること、与えてくることは、私たちの頭で考える範疇をばっくり超えてくることばかりですから、頭でいちいち納得しようとしていたら、キリがありません。
私たちの非常識は、宇宙の常識だからです。
なので、この度数あたりまで来ると、こまごましたことは考えずに、
まずはやってみる、まずは決行してみる、考える前に言ってみる。みたいな風になっているのだと思います。
なんというか、巫女的な感じであったり、チャネラーとか、
自動書記的な感じであったり、あの人たちは、降りてくる言葉やイメージをそのまま発するのですよね。
それが、地球的に見てどうかとか、21世紀の社会常識的に考えてどうか、とかは、全然関係ないし、チャネル状態にあるときは、そうした思考回路で考えてる暇もありませんから、入ってきたものをそのまま流れるように出す。みたいな感じなのだと思います。
逆にここで、意味を解釈しようとしたり、まだまだ、宇宙的知性が足りない状態で、解釈したつもりになったりして、チャネラーの解釈に乗せて文章化したりすると途端に、陳腐になった、というチャネリング本シリーズを幾冊も知っています。1冊目は、ド級の話が書かれていたのに、2冊目からずーッと、凡庸でつまらない本になっている、といったことは多々あるものです。
そうした意味で、18度で、究極的な意識に触れるところまで至り、
19度のこの度数は、高次のセンス(感覚)を持ち始め、高次の情報をキャッチするようになる、そしてそれを、ただひたすらに、媒体として流す。
そういう状態が描かれているのだと思います。