白波に覆われた大洋

The ocean covered with whitecaps.

サビアンにおける2度とは、1度でそのサインの凝縮されたエッセンスが表現され、世界に対して、サインの性質を勢いよく放ちます。

1度で放ったものが、2度でレスポンスとなって返ってくる。

世界からの反応が返ってくるのが2度なのです。

1度で放ったから2度で返ってくる。

私たちの世界は陰陽の性質にあり、常にこうした法則で成り立っています。

何かを放つから反応がある。

サビアンの1度(男性性)と2度(女性性)は陰陽でセットです。

射手座1度で、威厳のある軍人の共和主義のキャンプファイヤーとなっていました。

この度数で、射手座の凝縮されたエッセンスである、周りに合わせる柔軟な対応力を持った平等な戦いの世界観が描かれていました。

火の性質は魂の性質であり、火はまた、戦いのアトリビュートでもあります。

魂の性質を生きること言うことは、個の性質にまっすぐに生きることであり、他に迎合したり、集団の感情にからめとられたりはせず、

自らの意志を貫いて生きていくことです。

だから、そのためには、自分と違う意見の人ががいれば戦いも厭いません。

でも射手座の性質は、戦うこと=相手を潰すことではないのです。

自分を尊重するから相手も尊重できる。

あくまでフェアで論理的なディスカッションなのです。

感情世界に飲み込まれて血みどろの争いをするのは、蠍座までで卒業しています。

射手座からのトランスパーソナル軸では、人間の思考力を獲得し、

自律的な大人意識に開かれていくストーリーですから、

意見の違う相手とも、「話し合い」という戦いを交わすことができるのです。

人間の性質に開かれた人というのは本来、これが出来るはずです。

射手座2度は、白波に覆われた大洋、となっており、

1度でキャンプファイヤー、火が出てきたのに対して、

2度では、海、水が出てきます。

赤い火の性質に対して、2度は、白い水が出てきています。

水は、象徴的には、感情、心のアトリビュートで、海は、集合無意識を象徴します。

1度では、火という魂の性質を生きるために、フェアな戦いや、挑戦していくことを、コミットメントしました。

偉大な軍人たちが、真の意味の戦いとはどういうものかということを、確認し合い、情熱が搔き立てられているような場面ではないでしょうか。

もう何者にも、閉じ込められない、拘束されない、幽閉されない、

自らの自由と魂を生きることを射手座1度ではコミットしたのです。

こうした、強いコミットメントに対して、2度では、反応が起こっているのではないでしょうか。

2度は水や海の要素が出てきていますから、1度の力強いコミットメントに対して、感情が掻き立てられている。

私たちは、結局、魂の意図とか、思考したこと、というのは、感情の動き無くしては、なにも動いていかないことを知るべきです。

高いところにある意図が、感情という媒介路を経て、創造の過程へと入ることが出来るのです。

感情とは本来そのように使うべきもので、感情世界以下の阿頼耶識に閉じ込められるべき用途ではないのです。

自らの魂の意図を生きる人の情熱や、まっすぐな声は、集団の意識へ影響を与えるでしょうから、この度数では、そういったことも、示しているのかもしれません。

また、自らの放った情熱が、また、新しい感情の世界を自分自身のエネルギーフィールドに構築されていくことで、ここからまた、新しい未来を作っていくのだと思います。