キャンプを作っているインディアンたち
Indians making camp.
サビアンでは、26度から30度までは、5度区分ずつのグループ分けにおける、第6グループに入っていきます。
25度の第5グループまでに、成熟しきったそのサインの性質を、26度以降、味わい尽くし、徐々に、次のサインの様相が入り込んできて、
相互作用が生まれ始めるのも、第6グループの特徴です。
蠍座の第6グループでは、それまで生きてきた、価値観や、その価値観を作りあげるに至った、慣れ親しんだ環境、深く関わり合った集団や、コミュニティ、また、人間関係などといったしがらみから、射手座が徐々に流入してくることで、その依存していた価値基準、環境、人間関係などから自由になっていこうとする働きが起こっています。
この人がいなければ生きられない、これを所有していなければ生きられない、この環境でなければ、あれがなければ、生きられない、そういった
無数の自分を牢獄に閉じ込める依存関係から自分を解き放ち、独立していこうとするのです。
26度は、土台に3をおいた8の数字になりますので、
8で完成したものが、17で解体に入り、新しい境地へと進んできますが、
26度では、これまで育んできたものがここで形となり、創造の結果をみるような場面です。季節でいうと、秋の収穫を迎えるような場面で、
実った果実を味わい尽くすような場面です。
蠍座26度は、キャンプを作っているインディアンたち、となっています。
キャンプというのは、限られた持ち運べるだけの生活道具を携えて、
足りないものはその時々で調達したり、ないからこその発明やアイデアを出したりして、生活をきりもりしていく状態です。
また、自然界の知識をもっていなければ、サバイバル生活はすぐに、失敗に終わってしまいます。
ネイティブアメリカンは、古くから受け継がれてきた、自然界の対する叡智があり、その深い知識があるからこそ、移動しながらキャンプを張り、生活していくことが出来るのです。
蠍座は、ここまでの物語の中で、集団の中で、トップにたち、集団を操作、采配すること、コントロールすることで、自らの目的を果たす技を身に着けてきました。また後半では、そうした集団の異常性や、世の中のおかしな仕組み、構造から、ドロップアウトしていく場面も描かれていました。
そして、今度は、そういった自らの意志に忠実に生きようとする姿勢に、
人が集まってくるようになったり、物事の真理、道理を、見極めることが出来るようにまでなっていました。
このように、人間世界のなかで、ありとあらゆる経験を積んできたことで、知識が知恵に、知恵が叡智に変わった人は、今度は、何も持たずに、
場所や環境や、いらない人間関係に囚われずに、自由に生きていくことが出来るようになるのではないでしょうか。
最近では、断捨離、とか、ミニマリスト、とか、エッセンシャル思考などといった、引き算型の生き方が、新しい生き方として注目されるようになってきています。
一昔前は、大きな家を持ち、その大きな家に、たくさんのモノを所有していることが、よりよい生き方、幸せな生き方とされた時代がありました。
しかし、私たちは、モノを持てば持つほど、モノに縛られ、モノに縛られるということは、お金もたくさんかかりますから、結局、いつもお金に振り回される状態で、お金に縛られる状態が続いてしまいます。
こうしたことに気づく人たちが増えてきたのでしょう、最近では、
必要最低限のモノしか持たない、家や車も必要な時にシェアをする、
といった生き方をする人が増えてきました。
私たちはモノをあれもこれもと取っておくとき、将来いつか必要になるかもしれない、という不安から、何十年も使っていないものを捨てられないものなのだと思いますが、それは、裏を返すと、自分への信頼感の欠如。
もし、必要になったときに、それを調達することが自分にはできない、という、自信のなさの表れではないでしょうか。
モノに埋もれて暮らすよりも、モノを少なくしておくことで、お金は貯まっていきますから、お金があれば、必要なものはいつでも買えますし、
また、普段から、必要最低限のもので暮らす癖がついていると、お金を使わなくても必要なものを調達するアイデアや知識も備わってきます。
また、人は、所有物の多さに比例して、頭の中も混乱して、処理能力が落ちると感じます。
モノが少なく、いつも頭の中がすっきりと片付いている状態だと、仕事や、作業も、スムーズに進み、生活そのものが刷新されていくので、
より仕事がうまくいくようになったり、家庭生活や家族関係が良くなったりするのでしょう。
また、モノに縛られないことは、お金に縛られないことですから、
お金に縛られないということは、例えば嫌な仕事やに縛られない、
お金の心配がなければ転職したければいつでもできるし、
いやな人間関係に縛られる必要もありません。
また、仕事や人間関係で多少ストレスがあったとしても、お金に縛られていなければ、笑ってやり過ごす余裕だって持てるのです。
26度で示されるような、何も持たずに、最低限のアイテムだけで、自然界の叡智を携えて、自立して生きていこうとする姿は、現代社会に例えると、
こうした、断捨離ズムやミニマリズムにも、通ずるところがあるような気がします。
自分で、自分を縛り付けている、この世界との依存を断ち切る。
依存がある人は、自らも、その対象から縛られ、からめとられ、動けなくさせられてしまうのです。
そうした依存世界からの脱却、解脱を目指していこうとするのが、ここからの流れなのです。