ドアをノックするキュービッド
Cupid knocking at the door.
7の数字は、陰陽の性質が出てきて、その「差異」を超えていこうとする
非常に活動的な性質が出てくる数字です。
サビアンにおける7度は、6度で環境との融和を図り、協調的な態度を学んだ時に、起こる反動であったり、反作用が出てきて、ま反対のもの同士を統合して、更に高みへ進んで行こうエネルギーが沸き起こります。
射手座の7度は、ドアをノックするキューピッド、というキーワードになっています。
一つ前の、射手座6度のクリケットゲームで、射手座的精神である、
フェアプレイ精神で、他者や集団と対応する精神性を手に入れていました。
射手座は火のサインですから、決して、犠牲にならないし、相手の意見と自分の意見が違うときに、弱気に引っ込んだり、相手の言いなりになったりもしないのです。
違うものは違う、自分はこう思う、とはっきり言う性質なのですが、
でも柔軟宮の火サインですから、相手に合わせる火、なんですね。
なので、相手と意見が違うとき、相手を打ち負かそうとか、自分の正義を振りかざしてやろうとか、そういう幼い対応はしないのです。
自分の意見を言ったうえで、ちゃんと相手の意見も自分の意見と同じくらい重要に聞く。
そのうえで、解決策や、折衷案がないか、考えていくんです。
こうして、フェアな戦い方を獲得した射手座ですが、人間は、感情の生き物ですし、本能的な存在です。
私たちの世界には必ず、他人がいて、集団がありますから、
こうした射手座的なマインドを持っていないと、どうしたって喧嘩になるし、争いごとが尽きず、面倒に巻き込まれるいっぽうです。
蠍座的なマインドまでで生きるということは、一生涯、自分の潜在意識の阿頼耶識であるアストラル体の物語に翻弄され続けるということです。
しかし、射手座的マインドを手に入れると、相手とフェアな戦いが出来るようになり、共に高めあうことが出来る精神性を手に入れているわけですから、早々、もめ事になど、なりようもないのです。
でも、6度のクリケットゲームまでのマインドに、埋没していると、常に、
集団や、チームに制限されることにもなってしまいます。
射手座は、柔軟宮の火ですから、周りに合わせることと、自分の魂を生きる事という、この正反対の性質と、ずーーーッと向き合っていくことがテーマなのです。
周りと協調したうえで、自分自身の魂の意図を生きる。
これは、並大抵な感覚ではないのです。
ですから、周りと協調し、相手を思いやったうえで、その集団の集合無意識に溺れない、という感覚を常に持っている必要があります。
集団というものに埋没すると、私たちは個人として変化することが出来ません。
集団の意識に、無意識のうちに、迎合して生きてしまいますから、
変化していきたい人は、常に、自分と自分がいる世界の、当たり前や常識を、疑ってかかり、そこから抜け駆けしていかなければなりません。
射手座7度で登場する、キューピッドは、そんな私たちが、個人の中に持っている、自由な心であったり、誰にも気を使うこともない、子供のような純粋な遊び心であったり、いたずらやワクワクであったり、
自分が楽しむこと、遊ぶことに忠実な、魂の性質を象徴しているのです。
6度で、フェアプレイを学び、集団や相手との、フェアな高めあいを学んだからこそ、今度は、そこに埋没せず、いつでも抜け駆けて、自分だけ楽しむ、自分だけ変化して、自分の魂の性質を生きる事を、忠実に、自分との約束を忘れない、という性質がここでは描かれています。
この性質を忘れてしまうと、6の世界で、集団の犠牲になるエネルギーに傾いていってしまうのです。
常に、自分の直観や、自分の楽しさやワクワクに忠実で、そこに嘘をつかずに生きていけるからこそ、相手とフェアな関係を保ち続けることが出来る。集団と犠牲にならずに強調することが出来るのです。
自分の中のキューピッドを忘れてしまった人に、フェアな戦いはもはや、
出来ないのです。