氷を切り出す男たち
Men Cutting through ice.
サビアンにおける20度は、5度区分ずつにおける第4グループの最後の度数です。ここで反対側の性質を持つ双子座の世界との統合を図る
最終的な結論の場面が訪れます。
19度は9度ずつのグループ分けにおける、第3グループの一番初めの数字で、ここからひとつ新しい世界が始まっていました。
19度の、住居を移動するペリカンは、高い意識レベルや、専門性に到達した少数精鋭の集団が、一般の社会では、マイノリティ派で、生きづらさを抱えてしまうことや、そのままでは自分たちが、既存のルールに押しつぶされてしまう危機感を覚え、普通に呼吸ができる場所、少しは自由に生存できる場所へと、環境を変えていった場面が描かれていました。
新しい、高度な意識レベルに到達した人たちが集まって作る、世界、というのがここで始まっていきます。
例えば、学校に行かない選択をした子供たちと、そういう新しい意識を持つ子供たちを理解する大人たちが集まって、山の中で、自然濃の畑をやりながら、その子の好きな勉強をサポートするような学校をつくったり、
資本主義社会の仕組みを上手に活用して、大きく成功した人が、
日本ではどうしても住みずらくなって、タックスヘイブンの国へ移住して、もっと自由にシンプルな思考でビジネスを展開することでさらに大きく成功することができたり、
いろんなパターンはあるとは思いますが、とにかくいずれにせよ、
自分自身を生きる、という意識に目覚めた人たちが、より、自分らしく生き、既存の古いシステムに巻き込まれて潰されないために、
住環境や、人間関係を意識的に変えていく、選択していくというのが、
19度で描かれていた場面でした。
こうして、自由に、自分たちの専門性を高めたり、研究したり、
理想に向かって邁進できるようになった射手座ですが、
20度では、氷を切り出す男たち、という度数になっています。
氷というのは、現代でこそ、各家庭の冷蔵庫で簡単に作れるようになりましたが、冷蔵庫のなかった時代、電気がなかった時代は、氷というのはとても高級品で珍しいものだったようで、なかなか手に入るものではなかったそうです。
氷は、戦国時代頃からあったようですが、冬の間に、大量の氷を作っておき、夏場にそれを使うのは、特権階級だけの愉しみだったようです。
明治時代頃から、氷屋という職業が出てきているようですが、
電気のなかった時代に、氷を作るというのは、相当な知識を要する仕事だったそうです。
これは、まさに一つの専門性を要する分野であり、専門的な知識がなければできない仕事だったようです。
また、冬のうちに、夏に必要になるであろう氷を作っておく、
そのための技術や知識を学んでおく、ということは、
先見の明がある、ということでもあります。
目覚めた意識で、住む環境までも変えてきた人たちは、すでにそうした
世の中を見通す、未来を見通す目のようなものを、持ち得ているのだと思います。
今、目先の感情に振り回されて人は、毎日の労働だとか、
帰ってきたら、家事して、ご飯食べて、お酒飲んで、スマホゲームして
だらだら過ごして、未来のために行動する時間を確保することが出来無ない。
今、得たい感情、目先の快楽という安き方へと流れるのが人間の
習性だといいます。
だから、未来に対する先見の明を持ち、その未来に得たい感情を吟味して、そのために、今、行動できる人はとても少ない。
でも、ここまでの射手座の世界では、そうした自分の専門性を高め、その早すぎる高度な知性を社会のニーズに適応させ役に立とうとするところまで成熟した人が育ってきているわけですから、
この社会の風向きを全体的に捉え、未来に必要になるものを、見通すことが出来るのだと思います。