芝を刈る太った少年

A fat boy mowing the lawn.              

サビアンにおける29度は、土台に4を置いた、11の2です。

2は、陰陽の比較対象の場面です。

ここではすでに、次のサインの山羊座が流入していますから、

射手座と山羊座の拮抗する半々の作用が起こっているのです。

ここまで、射手座の物語では、自分の物心両面のバランスの取れた

成功幸福哲学は、あまりにも、本質的過ぎて、火のエネルギーが炸裂しており、一部の人にとっては、人生を変えるほどの作用があるのに対し、大部分の人にとっては、使いこなせず、危険な作用すらあることを

認識した射手座的人物が、

一つ前の28度の度数で、大部分の人たちにも、使いこなしやすいような、分かりやすい、馴染みのある、教えに下降させていった過程がありました。

この場面は、射手座的などこまでの、宇宙的意識を、探求する火のエネルギーが、ある種の死を迎え、終焉していく場面が描かれていました。

ある種、この場面をもって、射手座的な宇宙意識へのあくなき探求心や、悟りや専門分野への追求心は、終焉を迎えることになります。

誰しもに伝わる、大部分の人が使いこなせるものに、自分自身の専門分野や、思想哲学を、落とし込んでいくのですから。

それは、射手座的な世界の終焉ですが、山羊座的な世界の始まりでもあります。

射手座では、精神の赴くまま、自由に自分の好きなコトを探求し、

専門分野を磨き、どこまでも自分を高めることに集中していたのですが、こうして、一つの匠の専門スキルを身につけたり、人の人生を変えるほどの、思想哲学を身をもって経験してきた人というのは、

今度は、宇宙から、世界からご指名がかかるのですね。

最初は、小さな範囲内で、分かる人にだけその奥義を教えればいいわけですが、だんだんとそれでは済まなくなってきて、更なる宇宙氏名がかかり、もっと大きな活動をして、大きな範囲で貢献せよ。指令が

入るわけです。

ですから、ここからは、もはや、自分を高めることや、自分の好きを極めることや、自由に探求することに終わりを告げ、

この社会の中で、たくさんの人たちの役に立つ仕事をしていく立場に変わるのです。

射手座的な学者脳や、哲学者脳から、今度は山羊座的な、ビジネス脳へと変換を迫られるのです。

大学の中で、研究をしている学者さんとか、自分の好きなコトをひたすら探求している哲学者は、それが役に立つかどうか、お金になるかどうか、組織として、企業として存続してたくさんの従業員を養っていけるかとか、そんなことは考えていないわけです。

しかし、山羊座脳を獲得するということは、

この素材や、ツールは、どのくらいの利益を生むことができるか、

どのくらいの大勢の人に届けることができるか、

沢山の人に、触れてもらうためにはどうしたらいいか、

従業員に給料は払えるのか、

そういうことを考えていく脳みそです。

射手座28度は、芝を刈る太った少年、となっています。

このキーワードから想起されるものは、

射手座の25度では、玩具の馬に乗っている小太りの少年、という

度数が出てきていましたね。

あの時、物心両面の成功を手に入れた人物が、家の中で玩具の馬に乗って空想遊びを楽しんで、少し太ってきて、若干暇している、場面が描かれていました。

そのあと、自分に宇宙指名がかかっていることに気が付いて、

人々に向けて自分の、火のエネルギーの成功幸福哲学を、伝え始めたわけですが、やはり、大部分の人にとっては刺激が強すぎた、という経験を経て、

更なる、大きな範囲での貢献をする覚悟を決めて、

射手座脳から、山羊座脳に切り替わり、自分の自由な探求は終焉させて、より多くの一般的な人たちの役に立つことを決めた場面が描かれていました。

秘教的な教えというのは、その教えをどれだけ、文字を追っても、

あるレベルの意識レベルに到達していない人は、どれだけ読んでも、まったく意味が分からないといったような、エネルギー的なロックがかかっているような現象が多々あります。

また、読んでいるうちに、すぐにどうしても眠くなって読み進められない、といったことも、エネルギー値の高い秘教的な書物にはよくあることです。

こうした、秘儀的な教えを、一般の大部分の人には、伝えることが難しいですから、だから、仏教だって、南無阿弥陀仏って唱えてたら大丈夫だよ。って教えることで、農民の人たちも、庶民の人たちも、安心して、毎日、同じ念仏を唱えることで、悟りの道へ少しでも近づくことが出来るようになったわけです。

こうして、たくさんの人が同じ行為をし、たくさんの人が祈ることで、集合無意識的な作用が働きますから、崇高な人が一人で祈っているよりも、実際、たくさんの人が南無阿弥陀仏って唱えている方が、

集合無意識が動いて、意識レベルが実際に上がる、ということが起こるのだと思います。

射手座的なこの人物はそういうことも全部、分かったうえで、その役割を担っていこうと覚悟を決めたわけですよね。

でも、それは、この人にとっては、それまでの自分自身を深堀りする、という自由な在り方からの卒業も意味します。

大いなる目的の一部になって生きることに自分を明け渡したわけですから。

自分にとっては、そんなにワクワクしない、分かり切った、単純極まりない作業に、従事することを誓ったということでもあるのです。

この度数の太った少年は、25度の小太りの少年が、更に自分のやるべき役割を認識し、それに従事することで、ある種の究極的な退屈さと、

役割を担った人の、覚悟が描かれているわけです。

自分に課せられている役割は、これ。と、十分に認識しているので、

それ以外の、自分を楽しく、ワクワクさせる作業からは、いったん退いているのがこの場面なのです。

この人に課せられた宇宙指名的な役割とは、とても大いなる目的の一部であり、深遠な意味を持つものであったとしても、

この人の日常においては、庭の草刈りをするような淡々とした奉仕的な作業なのです。

小太りだった少年は、更に太って、自身の退屈さと引き換えに社会貢献を初めて行きますが、その淡々とした役割をこなすことに、

今まで味わったことのない、喜びを見出している場面でもあります。

これは、社会の中で、自分の仕事をたくさんの人に届けて役に立つ、という、山羊座脳が、出現してきているまさに、証拠なのではないでしょうか。