馬にまたがり、骸骨の締め具をつけたインディアン
An mounted Indian with scalp locks.


24の数字は、3を土台にした6の数字のエネルギーを持ちます。
6とは、環境との関わり、融和を行います。
6では、環境や周りから要請されることを受け取り、15では、周囲に対して、 自らの要求を力強く放ちます。


これに対して、3のエネルギーを土台に持つ24の6は、自分で発した要求を自分で受け取る、これを反復するのです。
それは、非常に深くて強い繰り返しの作用になりますので、反復反復を繰り返し、 誰も到達することが出来ないような究極的な深みに到達していくことになります。


サビアンにおいて24度はそうした意味で、そのサインの究極的な深みが反映されることになるでしょう。 なんというか、他から見ると一見理解できないような、オタクさ。みたいな雰囲気が出てくるのだと思います。

そのサインらしさを、オタクな程に反復し続けて、極まり、匠となるとこうなるよ、みたいな物語が24度では示されるのではないかと思います。

牡牛座の24度は、馬にまたがり骸骨の締め具をつけたインディアン。
なんだか、いかにも怖そうです。 恐怖を煽る描写ですね。 逆らう者は叩き潰す、邪魔してくるものは徹底的に排除する。 そういう、有無を言わさない感じがします。

一つ前の牡牛座23度では宝石店、という物語が描かれていました。 23度は、そのサインの成熟しきった形での最も活性化した表現でしたので、
牡牛座23度では、宝石店という物質的、五感的に最も豊かで、安定感のある世界観が表現されました。

しかし、牡牛座の守っているもの、欲しがっているものとは、こうした物質的なもの。である、とお話ししました。

物質的なものとは、有限性です。必ず終りは来るし、限りがあるものなのです。
そして、有限性のあるものは、それを無限に分配することが出来ませんので、 自分の取り分を死守しなければいけない。
周りに分け与えることは出来ない、というのが牡牛座的な考えになります。

牡牛座の世界とは地の世界ですので、有限性の世界を基準に話は進められていきます。

なので、ここでは宝石店。を守るために、奪われないための戦い、をすることになります。 どくろを掲げて、不気味な化粧を施し、馬にまたがってるインディアンを想像してみてください。

もはや、この時点で、話し合いは不可能そうだなぁ、と思うでしょうし、 戦うか、撤退するか、どちらかしかない、という印象を持ちます。
よく、ビジネスの世界や、この物質的な世の中では、お金儲けをしたり、 成功したりしてくると、足を引っ張るやつが出てきたり、邪魔されたり、潰しあいが起こったりすると言われますよね。

そうしたときに、徹底的に戦って、邪魔をしてくる者を叩き潰すくらいのそういった強さが無ければ、ビジネスの世界では勝ち抜けない、などというのも聞きます。

ですから、牡牛座のこの度数で描かれているように物質的なもの、または、自分の生活や、家族をを守るために時には、骸骨を振りかざして、相手を威圧し、戦わなければいけないこともあるのだ、ということを牡牛座のストーリーでは教えてくれます。

戦いたくない、事なかれ主義だけでは、通らないこともあるのだということを、 伝えてくれているのかもしれません。

また、こうした社会的、俗世的世界における、お互いの勢力争いや、領土争いなどについて、うまく巧妙に、相手のニーズを汲みながら上手に出世していく成功法については、山羊座のサビアンのストーリーがとても詳しいところだと思います。