大きく手入れの行き届いた公共の公園

A large well-kept public park.

25の数字は、3を土台に持つ7の数字です。また25は、5の5倍の数字でもあります。サビアンにおける25度は、そのサインにおける、究極的な完成を見ます。

23度は、そのサインにおける、最も成熟した形での反映でしたが、ここは5の数字のエネルギーを持つことから、そこで完熟したものを、周囲に見せ、出来上がったものを、周りに対して、表現することで、活用する、といったようなニュアンスを感じますが、

25度は、そうした周囲との関係性や、周りの存在をあまり感じさせないのです。

あくまで、自らの魂のレッスンをここで完成させ、満了させたといったような印象を持ちます。

それはとても個人的な世界で、ここで、意識の節目を迎え、次なる段階へと次元上昇の扉が開くようなイメージを感じます。

牡牛座の25度では、大きな公共の公園で、リラックスしている様子がイメージできます。

一つ前の24度で、自らの立場と領域を守るために、戦い尽くした牡牛座は、

自らが生きるために物質的なものを、戦って勝ち取り死守したのです。

そのことによって、今度は、物質的に真の意味で満たされ余裕のある状態に上っていきます。

24度では有限である、物質的なもの。を絶対に奪われないように、そして誰にも分け与えないように、他を叩き潰してでも死守するという、恐ろしい態度がありました。

よくこの世の中では、こうした在り方や人物像は、金の亡者とか、金もうけ主義とか、言われて、忌み嫌われるタイプなのだと思います。

しかし、彼らは、自分の意志を究極的に頑固に押し通すことで、次の25度では、公共的なものに貢献することが出来るのです。

この境地はサバイバルを生き抜き、勝ち抜いた者のみが、味わうことが出来る世界なのだと思います。

沢山稼いで、最初は自分の欲しいものや欲望のためにお金を使うかもしれません。しかし、それも飽きてきます。そして、お金が在ればあるほど、周囲は、自分のお金、に対して、従うようになり、計算で近寄ってくるようになることも分かってきます。

人はこうした経験をすると、お金がいくらあっても、自分は孤独なのだということに気が付くのかもしれません。

ですから、お金をたくさん稼いだ、安定した豊かな暮らしは、自分の能力だー。なんて、奢っているうちは、いくらお金が在っても孤独だし、終末は近いのでしょう。

お金持ちのセレブたちで、成熟した人たちが、たくさんの寄付を行ったり、

公共事業に寄付をしたり、誰よりも腰が低くて、人に対して謙虚であることなどは、

良く知られることです。

彼らは、骸骨を掲げたインディアンの境地を生き抜いてきて、その後に見えてくる、

自分にしかできない世界への貢献、に目が開かれていくのだと思います。

物資的なもの。を、十分に手に入れた牡牛座の世界観では、今度はその豊かさを社会とか、地域のために、役立てることで、真の意味での自己実現を図っていくのかもしれません。

牡牛座の第5グループで到達したかったストーリーとは、物質的な豊かさを十分に手に入れて、何者にも侵されないまでに富と強さを手に入れ、戦い抜いたその先にある、真の貢献、豊かさの分配を、魂が体験することなのでしょう。