列車に破壊された自動車

An automobile wrecked by a train.

5の数字は、外側に向かい挑戦し、表現や冒険をすることで、己の個性を広げていく性質です。ですから、この度数では、蟹座の性質が、活発に広がります。

サビアンにおける5度では、そのサインの性質が、分かりやすく活性化し、

広がりを帯びていく様子が描かれていると思います。

蟹座の5度では、列車に大破した自動車が描かれています。

自動車と列車が正面衝突したら、自動車が木っ端みじんになってしまうことは

明らかです。

ここでは、自動車という個人が運転する単体の乗り物と、たくさんの人が乗って同じ目的地に向かう共同の乗り物が対比されています。

蟹座の世界は、共同する意識の育成ですから、ここでは、個人のレベルでの意識や、個性を発揮しようとしても、たくさんの人が従属している集団の意識を前にしては、まったくもって太刀打ち不可能であるということを、物語っているのかもしれません。

個人レベルでの、意志や、意見は、蟹座の世界では、出る杭打たれる、とか、

我がままとして見られたり、時には村八分にあってしまったりするようなものなのだと思います。

蟹座では、共同体の意識に沿うこと、また自分だけが頭一つ出たり、目だった行動をするのではなく、あくまで仲間のために、共同体の目的に沿って、自分自身のエゴやわがままを捨てて、周りに合わせ、共同体のために必要な仕事をしていくというような在り方が問われます。

今の現代社会では核家族化が進み、それぞれの家族が単一で生活するようになりましたが、一昔前までの日本では、嫁がある家に入る、というような形で、

家に嫁ぐ、というのが普通でした。

そして嫁ぎ先の家には、舅、姑がいて、さらには、旦那さんのお姉さんとかもいたり、大家族に嫁いで、その地域のご近所づきあいなどもとっても密な時代だったと思います。

お姑さんの言うことは絶対で、嫁として、しっかり義務を果たさなければなりませんでしたし、お姑さんや小姑に逆らうことなど許されなかったと思います。

今は、親と一緒に暮らしている家庭の方がずっと少なくて、また核家族内でも、

一人一部屋持っていて、それぞれがそれぞれのテレビやパソコンを持っていて、

何かを共有するということが、昔に比べてかなり減ってきてるのではないかと思います。

そういった意味で現代社会は、とても個人の自由が許された世の中になってきていると思います。

一緒に暮らす、共同生活をするということはそれだけ、個人個人のわがままは許されません。一緒に暮らしている家族が多ければ多いほど、譲り合って生活しなければならないのです。

一緒に暮らすということは、それだけ、窮屈で煩わしいことがたくさんあるのだと思います。そして、また一緒に暮らすということは、互いに助け合ったり、寂しさや孤独を感じずに生きることが出来るという良い面もあります。

蟹座の共同する意識の育成、とはこうしたことがテーマになるのではないかと思います。

誰かと生きる事で生じる面倒なことや煩わしさ。

また誰かと生きる事で得られる助け合いや絆。

私たちは多かれ少なかれこうした経験をしながらこの社会の中で生きているのだと思います。

ですから、この度数で描かれるように、個人の自由や我がままを完全に押し通して生きることは、できないのですが、それを無理やり押し通してしまうと、

列車にアタックして大破してしまうようなことなのだと思います。

個人の意志やエゴはここではあえて、引っ込めて、自分の属する共同体の意識に沿うていくこと、周りに合わせて、譲り合って生きることで獲得できるもの、

またそうでなければ得られないものがたくさんあるのだと思います。

日本人はもともと、こうした共同体意識、村意識のようなものがとても強い民族だと思います。

農耕民であり、狭い地域に集まって生き、お互いに助け合って生きてきた歴史があります。

現代社会では、豊かになり、助け合う必要がなくなってしまったので、

核家族化や、単独世帯が増え、孤独死や、引きこもりなどが増えています。

誰かと共に生きることの煩わしさを思い出させてくれる蟹座の物語の一つの側面なのかもしれません。