ズーニー族の太陽の崇拝者

The Zuni sun worshippers.

20の数字は、3を土台に置いた、2のエネルギーを持ちますから、19以降の創造的な世界が始まり、その中で、内面的に、自らの内側から回答やガイダンスを受け取るようになる世界観です。

2の数字は、二元や二極、陰陽は物事の対比などが行われ、世界との関りや相手との関係性が示される数字です。また、内面との対話や、感情や心の部分も現わされます。

20では土台に3がありますので、それが創造的な領域で行われるようになるので、シンプルな自然数の2では、原初的な形で、自らの肉体と精神の対話のような形になったり、相手との関わりになったりします。また、2を土台に置いた11では、意識的に世界との関りが始まり、その中で世界から影響を受けたり振り回されたりするわけです。

それに対して、3が土台にある2は、世界からの影響に振り回されるのではなく、

逆に、世界からの影響を意識的に取り扱い、世界の素材を活用して自らの創造に充てていくといった、そういう物語が始まるのだと思います。

ですから、必要以上に世界からの影響に翻弄されないし、かといって世界との関係から断絶してしまうわけではないのです。

自らの外側にある環境要素や、地球の素材を、創造性という名のもとに有効活用していく。

そのためには、外側から来る情報ありきでは、それは出来ないし、

自らの心に無意識ではそれは為されません。

真に必要な回答は、自らの内側にある。宇宙とダイレクトに繋がり、

答えを引き出してくるようなところまで、20度あたりに来ると成熟してきます。

ですから、サビアンの20度では、19度で大きく広がったそのサインの性質の大風呂敷から、実際的な行動に落とし込んでいく場面であったり、

感覚や肉体を通して、触れていく部分であったり、自らの内側から、宇宙のガイダンスを受け取っていくような場面であったり、そういった世界観が描かれているのだと思います。

獅子座の20度では、ズニ族の太陽崇拝者となっています。

ズニ族は、ネイティブアメリカンの部族の一つで、現在のニューメキシコ州北部の台地と台地の間に広がる渓谷にアーシウィ人(ズニ族)がイティワンナと読んでいる場所が、現在のズニ族の居住地である。

ここが、「世界の中心とされている」

ズニ族の謎(ナンシー・Y・デーヴィス/ちくま学芸文庫)がありますので、ご興味ある方は取り寄せてみてください。

ズニ族が現在の居住地に落ち着いたのは、1350年頃とされており、ズニ族はそれまでの長い間、移動し続けた歴史を持つ民族だったと言われています。

西方(日の沈む世界の海)から、宇宙の中心(イティワンナ)を目指す、旅路を続けてきた民族です。

ズニ族の創造神話では、母なる大地の4層目のレベル出現後に始まる宇宙の中心を目指し、そこには、戦争も地震もないと書かれていたそうです。

ズニ族は、古い時代に、日本との関りがあったのではないかという視点でこの著書は書かれており、興味深い研究結果がいろいろ報告されていますが、

日本の神道と、ズニの宗教は、どちらもアニミズムであり、自然精霊崇拝、多神教の形をとっています。また、神道は、シャーマニズムや、道教、儒教における陰陽道、、また仏教の流れを、受けていると思いますが、

神道とズニの宗教では、多神教であること、アニミズム、先祖崇拝、豊穣と収穫への儀式、聖地巡礼、太陽への祈りなどが共通しているといいます。

また、ズニの最高位宗教結社である銀河同胞(ネウェクウェ)の指導者は、

ビチチ(Bit-sitsi)というそうで、仏陀(Butsu)と似通るとか、

神道の神(カミ)と、ズニの神はコッコといい、語源的に共通するものが多くみられるそうです。

元々、一神教世界が始まる前の、古い時代では、世界各国の神話の世界では、

アニミズム的世界が広がっていたのだと思います。

自然を崇拝し、自然の至る所に、精霊がいて、神がいる。

人間が自然と同化して、自然の驚異と共存して生きていたからこそ、

自然を敬い、自然を怖れ、畏敬し、人間がコントロールできるものではないという

価値観の元に、人類は生きていたのだと思います。

一神教世界が始まると、人類は自由意志をより、強化して使えるようになってくる時代が始まりますから、自然の驚異をコントロールし、自然を制御して取り扱うようになってきます。

しかし、それも、現代社会では限界を迎えてきて、人間が強い自由意志を持ちながら、自然を支配する在り方から、自然と共同して生きていくテクノロジーや、

価値観を獲得していく時代が始まっているのだと思います。

例えば、自分の目的を必ずしも果たすために、私たちは移動手段を、沢山獲得してきました。地球の裏側にも一日で行けてしまうし、移動は車で一日、何10キロ、何百キロと可能です。

しかし、それは本来の、人間の持つ能力を超えたところにありますから、

燃料を確保するために、地球の原料を使い、枯渇していきます。

電気もお金儲けの概念を捨てて、フリーエネルギーが可能なんですからそこにシフトしていかなければ、電力との付き合いも危うくなってしまいます。

人間は自由意志を謳歌するために、地球のあらゆる資源を使い果たしています。

しかし、人類の進化は、自由意志を謳歌しながらも地球を枯渇しない、

技術やアイデアを生み出すところまで、成長してきているのだと思います。

ですから、本来のアニミズム的な、宇宙や自然と一体して生きる生き方、

全体性を思い出し、他者を思いやりながら生きる生き方を、自分を犠牲にせず出来るところまで近づいてきているのです。

こうした、自然の至る所に、神や精霊を見て、敬い、自然と一体になる生き方は、

日本の古い時代にも、あったのだと思います。

ズニ族と、日本人の共通項は、宗教的な側面からもよく見て取れるのではないでしょうか。

ここで、獅子座のこれまでの物語をおさらいしてみましょう。

獅子座は、15度までの前半のストーリーで、外側に向けて、自らの表現と創造性を、魅せ、演出し、外側からいかに反応を得るか、という学びに集中してきました。

それに対して、16度以降の後半では自らの内側に、集中することで、

外側の反応がどうであれ、無限の集中力を発揮し、喜びと充実を得る世界観を発見していく・・本来の、真の意味での創造性について、知り始める物語が

始まっていました。

そして、一つ前のハウスボートパーティは、外見がどうであれ、人からどう見られるかではなく、また、所有物や、住む場所にも限定されることなく、

社会的な機構からも自由で、自らの個性を生きていく、真の自由とか、オリジナルな生き方を発見していきます。

そして、20度では、先住民が出てきたり、古代宗教が出てきたりしていて、

太陽崇拝とか、アニミズムの概念がそこから想起されるわけですから、

本来の人間の最も、原初的な自然と同化し、宇宙からのガイダンスをダイレクトで受け取っていた頃のシャーマニックな生き方を思い出し始めているのでしょう。

外見を捨てて、外側からの反応よりも、内側の性質に開き始めた人は、

自由になり、遅かれ早かれ、こうした神との対話を思い出していくことになります。

そして、それは、回答を内側から得ることであり、宇宙とダイレクトであるということにもなります。

獅子座の20度では、そうした場面がここに来て訪れているのだと思います。

獅子座の後半では、水瓶座のエネルギーが流れ込んでくるわけですから、

時間や空間に制限されない生き方、外側からの反応ではなく、自らの個性を生きる生き方、しかし、その自由意志と個性を生きる上で、自分本位になり、地球の資源や、周りを枯渇させても良いという生き方からも卒業しています。

逆に言うと、そういう在り方から卒業できていないうちは、本来の創造性には

達していないということなのかもしれません。

獅子座の本来の創造性とは、水瓶座意識を獲得することによって、本物となるのだと思います。

獅子座の火のエネルギーを本来的な形で使い始めることが、ここでは始まっているのかもしれません。