キャラバン車
An automocile caravan.
サビアン20度は、第4グループの一番最後の度数です。
ここでは、自らのサインと、反対側のサインの陰陽の性質が出会ったことで起こった、大きな挫折経験を糧に、成長し、成熟し、一つの完成形となり、
そのサインの性質を、バランスよく使えるようにまでなっています。
19度は、そのフルに使えるようになった力で、大きく跳躍するような度数なのに対して、20度は、跳躍した後の着地とでもいうか、19度のようにウキウキとした高揚感ではなく、落ち着いた安定感を持つようになると思います。
一つ前の乙女座19度の水泳競技では、はじめて自分の心に触れ、
そして、他者の心にも触れるようになった人が、他者との感情のやり取りを、沢山たくさん、経験している物語が描かれていました。
私たちの社会にはたくさんの人が存在していますが、自分の心に出会い、そして、他者の心に出会うまでは、どれだけの人がいようとも、私たちは世界で一人ぼっちなのかもしれません。
他者と心をたくさん交し合うことで、沢山の感情を経験し、私たちはより、自分を知ることになります。
他者がいなければ、強い感情を経験することもないし、自分を深く知ることもないのだと思います。
こうして私たちは、一人称で世界を眺める視点から、二人称で世界を眺める視点を持ち、そして、三人称、多人称で世界を見る視点を培っていくのでしょう。
乙女座では、このように、牡羊座から始まった、自分。という人格形成の旅路が
ここにきて、沢山の人の中に在る自分。という風に、視点が置き換わっていくことで、いよいよ真の意味で、自分自身のこの世での輪郭を発見してく旅路のスタートに立てるのだと思います。
物質的な輪郭とは、形あるレベルや、階級の頂点に立つことではなく、
己の魂が、形となって顕現した姿。のことを言うのだと思います。
乙女座のテーマとは、正にこのことで、それは、自分の心を触れ、他者の心に触れることから、始まっていくのです。
こうして、物質的なレベル分けで人を階級分けする世界から、心と心を交し合い、
相手の気持ちを想像することが出来るようになった乙女座は、
20度のキャラバン車で、仲間と共に、同じ目的に向かって協力して進んで行く世界に入って行きます。
これまでの乙女座前半の物語は、自分だけの世界ですから、
社会の中で生きていても、他の人が存在していても、自分以外の人たちは、
自分より上か下か、物質的な格付けはどうか、ということで人を判断していますから、他者は、勝つか、負けるか、または、打つか打たれるか、みたいなそういう
関わり方だったのかもしれません。
物質的な格付けの最上位に行くことが最も大切なことですから、その目的に
邪魔になるものは打つ、または排除する、それ以外の関係のない人は無視、興味すらない、という状況だったかもしれません。
しかし、一つ前の19度で、他者と心を交し合うということを知った乙女座では、
自分の世界だけで物事を考える在り方から、相手の気持ちを思いやることや、
四角四面に行かないことでも心で感じてみる、というやり方を学びました。
乙女座には細かな分析と分類分けの能力がありますが、乙女座のテーマの一つとして、相手や世界と関わる時に、自らの輪郭を削ってでも犠牲にしても、
世界の為に働く、というところがあります。
これは、乙女座前半の物語で考えると、例えば、物質的な階級の上位に上り詰めるために、自らの身を削ってでも努力するとか、体を壊してでも、仕事を頑張るとか、そういった頑張りすぎる事による、犠牲というのが思い浮かびます。
乙女座は6番目のサインですが、自らを犠牲にしても、頑張るという資質は、
目的を達成し、物質的な格付けの上位に上ることで、この世界でより良い立場で生きることが幸せに繋がるという信念があるからです。
この乙女座前半の物語に対して、後半の物語では、自らの心や感情の世界に触れ始め、そこからさらに、他者の心や感情に触れ、相手の気持ちをイメージすることや想像することが出来るようになりました。
これは、乙女座にとってはじめての経験で、それまでは形あるもの、理論で説明できるもの、教科書に書かれた正解や常識や一般論でのみ物事を考えてきたところから、後半に入ってからは、こうした常識や一般論ではどうにもならないことを、
心の目で感じ、考えることが出来るようになってきました。
他者の心に触れ、相手の気持ちを感じること、思いやることを、学んだ乙女座は、
そもそも乙女座の世界とはまだ、自分の輪郭を確立するためのレッスン中ですから、相手や世界と平等にやり取りする術をまだ知りません(これは天秤座以降に始まるレッスンだからです)
ここで、乙女座がどのように、世界や他者と関わるかというと、まだおぼつかない、
乙女座なりに想像した、(自分の世界で想像した相手の世界)イメージを元に、
あの人はこんな気持ちだろうから、こうしてあげたら喜ぶに違いない、とか、
こんなことをしてほしいだろう、こんなものを欲しがってるだろう、と、想像して
(これはあくまで乙女座の自分の世界での想像なのです。事実はどうか、は、
乙女座の段階では分からないのです)
そうして、相手の世界はこうだろう、と想像して、それに相応しいものを差し出す。
差し出すために頑張る、相手に尽くすために身を粉にして自分を犠牲にしてでも、
相手の為に奔走する、そして更に自分が犠牲になる、そして、疲れる、そして、限界が来る。
こういったターンも、乙女座らしいテーマです。
乙女座は、後半の物語に入って、ようやく、相手や他者の世界に触れ始め、
心の世界に触れ始めましたが、それは、あくまでまだスタートラインです。
獅子座まではそもそも自分の魂、というものに接触し、自らの個性を見つけていく。
牡羊座から獅子座までは、実は他者がまだ存在しないとも言えるのです。
獅子座では周りにたくさんの人がいてもそれはあくまで、自分を中心にした
観客であり、聴衆だからです。獅子座にとって、周りの人や世界とは、
自分の表現に対して、拍手喝采し、評価し、褒めたたえてくれる人たちなのです。
これは、人間関係というよりは、王様と群衆の関係です。
そこから乙女座に入り、ようやく他者や世界とやり取りし始めるところまで
後半に入って辿り着いたのですから、
まだまだ、平等なやり取りや、自分のニーズも相手のニーズもうまくwinwinにする関係などは築けません。
どうしてもやはり、相手の気持ちを自分の世界観で想像する、という枠を出ませんので、犠牲になるのです。
でも、こうした犠牲を払っても相手の為に尽くすことが出来るのは、そのまま
乙女座の性質としても現れませす。
私たちの人生とは、自分がいて、他者がいて、その中で、どうやって相手のニーズも汲みつつ、自分を犠牲にせず、お互いが良いように関係を築いていけるかは、
永遠のテーマだったりするのではないでしょうか。
それは生涯をかけて学んでいくようなテーマでもあると思います。
乙女後半では、ようやくそのスタートラインに立ったということなのです。
20度のキャラバン車は、複数の人たちと一緒に同じ車に乗って、同じ目的に向かい、共に進みます。
それまでの乙女座は、自分が階級の上に上るための下剋上の世界ですから、
他人は、打たねばならない存在だったかもしれません。
しかしこの度数では、共に助け合い、相手の気持ちを思いやり、
弱い人や困ってる人がいれば助け、協力し合うという体験をしています。
結局私たちは、この社会の中で、自分以外にたくさんの人がいる中で、
自分の個性を生かしながら、社会的な目標を達成したり、目的を果たしていこうとしたり、魂の意図を現実に落とし込もうとしたとき、
他者との関わりなくして、何一つ前に進めないのだということを乙女座で気付くのです。
獅子座までの世界はまだ、ある意味他者が存在しませんし、
他者との関りにおいて、獅子座では王様と群衆です。
(この関りが良いとか間違ってるとかではなく、これが獅子座のスタンスであり、
大切なテーマであり、エッセンスなのです)
しかし、その獅子座で触れた自らの魂を、この社会のなかで形にしようとしたとき、
乙女座は前半では、全ての状況を論理的に管理コントロールすることでそれを果たそうとしました。
しかし、それは、オラウータンの出現によって大きく無理がかかっていたやり方だったと思い知ります。
こうして、相手の気持ちを自分の気持ちと同じように、考え、思いやり、助け合うことなくして、この社会の中で、何一つ、自分のやりたいことも、魂の意図も、形にすることはできないのだと知るのです。
乙女座の、最たるテーマは、魂の顕現です。
この物質界で、時間と空間の法則の中で日々のコツコツとした繰り返しを通して、
魂の意図を形にしていくこと。それは、正に自分の輪郭を知ることに他ならないのです。
そのためには、他者との関わりが大前提で、必須であり、
相手の気持ちを思いやり、協力し合うことが大切であると、学ぶのです。
全てが、理屈通りに、頭で考えた通りになるわけではない、
人の心は、本当に多様で、それぞれだということ、そしてそれは、頭だけでは決して分かり得ないこと。心の成熟無くして、この世で何一つ形にすることは出来ないことを知るのです。