荒廃した家の中で燃え盛る暖炉
A blazing fireplace in a deserted home.
8の数字で示されるものとは、7で、二点間を行ったり来たりして、陰陽の両方の反対側の作用を、受け取り、どちら側の作用をもうまく活用する方法を学んできたのですが、
その学びを経て、ここで非常に実態のある着実な完成と統合を実現していきます。
8は形になる。固定化する、数字のエネルギーであり、物質形の完成形を表します。
一つ前の天秤座7度では、6度で獲得した、成果や結果を、守りに入ってしまい、
保守的になり、危険から身を守り、現状を維持することに、執着していました。
6度で手に入れた成功とは、まだ陰陽の作用を使う前の、5度の、活力や漲る元気さや冒険心、ワクワク感といった、陽のエネルギーで獲得されたものなのだと思います。
それは、なんというか、挫折を知らない、勢いだけで手に入れる成功であり、現実なのだとも言えます。
ワクワクして、楽しい~、って言ってたら、なんか叶っちゃった、みたいなビギナーズラック的な成功というのも、あるものだと思います。
6は周囲の環境との調和、ですから、環境的要素と、交わり、調和し、
形ある成果を受け取る場面ではあるのですが、まだ、陽の後にくる、陰の作用を
知らない段階とも言えます。
7度では、勝ちぬいた者、目標を達成した者、成功した者だけが、見える
守りの境地、であったり、あるひと時、局所的に陽のエネルギーを使い切ったことにより、出るそのあとの反動、、それは、疲れであったり、エネルギー不足や、消耗感、創造性の枯渇、休息の必要、など、こうした陰のエネルギーが、必ず来るものです。
この時に、どのように力を貯め、英気を養い、身体を整え、自分の気持ちを問い直し、生活環境を整えたりできるか、どうかが、次なる陽のエネルギーが来たときに、
問われるのです。
しかし、私たちはとかく、こうした、陰の作用の時間は、何の生産性もないような時間に思えて、焦ってじたばたしたり、ネガティブになりすぎてしまったり、
方向性が見えなくなって迷ってしまったりするものなのだと思います。
このように天秤座7度で示されていた世界観とは、目標を実現し、成功を手に入れ、頭の中にあるイメージを形にした後にくる、保守的な守り姿勢であったり、
疲れであったり、方向性の見えない心もとなさであったり、する世界観です。
成功をしたからこそ、それまで見えてなかった広い世界が見えてしまった。
見えてしまったからこそ、怖いものを知ってしまった、そういうことってあるのだと思います。
何も世の中のことを知らないうちは、怖いものも分からないものなのかもしれません。
だから、あー、こんな広い世界があるんだ、こんな広い世界に、自分は新たに挑んでいくことなんて到底できない、と尻ごもってしまってもおかしくありません。
そして、ただただ、守りに入ってしまう。
挑戦できなくなってしまう、リスクをとれなくなってしまう。
通り一辺倒の、一般常識的なことしか言えなくなってしまう。
それで、危ないことをせず、守ってるつもりなのかもしれませんが、
それは徐々に、斜陽と崩壊への道をゆっくり進んでいくことにほかなりません。
変化することをやめてしまうこと、挑戦し続けることをやめてしまうことは、
まぎれもなく、斜陽であり、後退なのです。
現状維持は、そこにとどまってるようで、後退するエネルギーです。
そこには、恐れ、怯え、諦め、停滞といった陰のエネルギーが立ち込めています。
これは、逃避なのです。
挑戦することから逃げる。
切り開き、創造することから逃げる。
こうした時期が陰の時間ですから、そういった時間もあってもよいのです。
しかし、今はそういう時間なのだと、割り切って、有意義に過ごすべきなのだと
いつも思います。
占星術などは、そうしたサイクル論に、とても詳しいですので、
自分がいま、陰のエネルギーサイクルにいるのか、陽のエネルギーサイクルにいるのか、とても明確に分かったりします。
もちろん、西洋占星術だけでなく、インド占星術や、四柱推命や、数秘術など、あらゆるサイクルがありますから、そういったものも、最低限知っておくと、
階層別に統合して、サイクルを感じることができるのではないかと思います。
停滞の時間もまた、大切だということなのだと思います。
天秤座8度では、荒廃した家の中で燃え盛る暖炉、となっています。
このキーワードから思い浮かぶイメージは、誰もいない、荒れ切った空き家で、
暖炉だけが赤々と燃えている状況ですよね。
これは、なんとも奇妙というか、不思議な感じのする光景です。
荒れ果てて打ち捨てられた廃墟に、赤々と火が燃えている。・・
7度の度数で、一度、怯えて諦めた夢、世界の広さに恐れおののき逃げた目標、
ただひよこに餌をやり、鷹から身を守り、現状維持だけのつまらない面白みのない人生・・
それは、とても空虚で、無味で、モノクロな、世界観にも思えます。
でも、8度で示すものは、こうしてすべてを諦めて逃げたように見えて、実は、
心の深いところでは、火が赤々と燃え盛っていて、情熱も夢も消え去っていなかったということ。
成功して、現実がよりはっきりと見えたからこそ、一時的に、その世界の広さに
恐れおののいてしまったけれども、自分にはできない、と諦めてしまったけれども、
実は、心の炎は燃え続けていていつでも、主人の帰りを待っていた。
陰の作用も受け入れて、恐れ多い現実もしっかり受け止めて、
一皮も二皮も剥けた自分で、再挑戦する。
こうした、実の伴った再挑戦は、本当の意味での地に足の着いた成功へとつながっていくものなのではないでしょうか。
勢いと、威勢だけで、獲得した成功よりも、いったん挫折して、死ぬほど痛い思いや、怖い思いをした後に、再起した人の成功は、本物なのだと思います。
例えば、学生時代に起業して、成功してしまう逸材などがたまにいますが、
ずば抜けて頭がよくて、アイデア力があって、人とは違う考え方ができて、
体力も行動力もあって、時代の波にのって大成功する、そんなストーリーが
あったとします。
でも、二十歳そこそこで起業して、たくさんのお金を稼いでしまって、
次の年にくる、税金の知識もなければ、法人設立とか、節税の知識もない、
そして、次の年、税金払えなくなったり、仲間にお金を持ち逃げされたり、
他社から、買収されそうになったり、アイデアを盗まれたり、散々な目に合うことが
目に見えているわけです。
それだけ痛い思いをしますから、一時はとても落ち込んで、人間不信になってしまったり、家に引きこもってしまったり、もう何もしたくない、と投げやりになったり、
してしまうかもしれません。
若き青年は、とんでもない痛い目を見るのですが、ここで学ぶわけですね。税金の本を片っ端から読み、法人設立や、その他のリスクヘッジ、人を雇うということについて、などなど、知識は、どれだけあっても、足りないくらいです。
こうして、リスクをとるときには、ヘッジが必要だ、知識が必要だ、と分かった若者は、今度はただ、無計画にやみくもに突っ走るわけではなく、守りながら攻めていくということができるようになるわけです。
次の9度ではさらに、賢人たちがどのように、成功する過程で苦難を乗り越えていったのか、など、偉人や歴史に学ぶことになっていきます。
起業家が、ウォーレンバフェットや、孔子や孟子や、渋沢栄一や、カーネギーなどの著書を読み漁るようなことです。
8度では、消えない情熱、心の奥底で燃え続け、主人の帰りを待ち続けている、
心の状態を、暖炉が燃え盛る荒廃した家、として、表現されているのだと思います。