ときの声をあげる鷹に変化する旗
A flag that turns into an eagle that crows.
サビアンにおける12度は、12という自然界の法則のエネルギーを使って、そのサインのテーマへと向かう素地を整えていく度数です。
11度から15度までは、第3グループになりますが、11度と13度は、奇数で素数。ほかに類をみない、個性とテンションの高さ、跳躍力があるのです。
その11度と、13度に挟まれた12度は、11度でホップ、13度で、より高くジャンプしていくために、
土台を整える。法則の力や、本能の力、直観の力といった女性性的な力を使うのです。
11度では、寺院の左側にある物質的悟り~となっていましたが、ここでは、果敢に精神性の高みである、悟りを求めて、精神世界の探求に入っていく姿が描かれていました。
物質的な悟りですから、古代からある伝統や聖典や、書物や教えに、熱心に挑むのかもしれませんし、男性性的な左脳的理解から、入り、
精神の高みを目指すのかもしれません。
実際に、秘教などのエソテリックな教えや、ヴェーダの聖典などの学びは、ひたすら書物に向かい、学ぶことを試されます。
この学びの時間を獲得するために、社会生活を捨て、世俗的活動を全て捨てるのです。
これを喜びとして、彼らは精神の高みを目指す道へと入っていくわけですが、
12度のこの度数では、ときの声を上げる鷹に変化する旗、となっています。鷹というのは、象徴的に、蠍などの潜在意識のパターンを超越し、
飛翔し、高い精神性へと到達する象徴として描かれます。
11度では、ストイックに果敢に、悟りを取りに行く姿勢が描かれていたと思いますが、このように精神世界の探求をストイックに行っていると、自分自身のエネルギーフィールドを操作する知識が出てきたり、
下方のシステムを動かすことで、現実を動かしたり、超常現象のようなことを起こせるような知識などにも出会っていきます。
精神的に成熟していない人が、こうした領域に手を出すと、危険すらあるということが言われていますが、こうしたところにも手を出していきたい欲望にかられます。
射手座の1~15度までの、前半のストーリーというのは、自分自身の魂に接触し始め、その自分、という道を歩み始める過程において、
魂とか、精神といったものを探求したくなる果てない探求心が出てきて、そこにストイックに挑んでいくエネルギー領域なのです。
だから、射手座とか9ハウスのエネルギーというのは、社会活動のなかでも、例えば、大学の中の研究室だとか、利益や採算など考えずに、ひたすら自分の興味のある分野を探求し続ける学者さんとか、
精神の教えを説いて、人々と導く宗教家とか、そういう在り方になってくるわけです。
でもそれは、ある意味、実際的である必要はないので、この後、射手座の後半では、こうしたとても高い精神領域にあるものを、実際的な社会生活に合うものに落とし込んで行ったり、役立てるものにしていったりする過程が始まるわけです。
こうした試行錯誤を通して、山羊座に入ってはじめて、今度は、
そうした思想や理想を、この社会の中で成果や結果として残していくには?みたいな、問いに対する物語が始まっていくわけです。
ですから、そういった意味で、射手座前半は、思う存分、自分という存在に、チャレンジし、自分に興味を持ち、魂というものに挑んでいくとてもストレートで純粋な、行者のエネルギーが描かれているのです。
この度数では、現実創造に一番直結する、潜在意識の使い方とそのコントロールに到達している場面ではないかと思います。
例えて言うならば、精神的な事柄やスピリチュアルを探求している人が、いつまでたっても、現実が変わらない、現実を動かすことが出来ない、という状態が多いのは、精神探求を、高次元でやっているからなんです。高次のエネルギー領域でばかり、繋がっていたり、またそれすらも出来てなくて頭でばかり勉強しているような状態も然りです。
だから、スピリチュアルと、リアルが、繋がってこない。
本来、真のスピリチュアル探求とは、リアルな現実と繋がって然るべきなのですが、頭でばかり、高い波動領域でばかりそれを行っている状態は、いわゆるマスターベーションであり、人生に直結してこないんですね。
そういうスピリチュアルは、どこか、やはり病んでくる。
この12度の度数では、精神探求をストイックにやっているうちに、
下方のシステムや潜在意識に、スイッチが入って、この媒介路を使えるようになり、現実と高次の波動領域がダイレクトになった場面を言っているのではないかと思います。
だから、ついにその時が来たぞ!ということで、鷹に飛翔したこの存在が、高らかに声を上げている場面ではないでしょうか。
下方と繋がらないスピリチュアル探求は、意味がないのです。