威厳のある軍人による共和主義のキャンプファイヤー

Grand army of the Republic campfire.

どのサインでも、サビアンの最初の度数である1度では、そのサインの全体のストーリーを、一滴のエッセンスのように凝縮した形で、

シンプルにサインの全体像を、表現しようとしています。

1度のサビアンを深く理解することで、これから始まるサインの全体のテーマを踏まえることが出来ます。

一つ前の蠍座の世界で、私たちは、この世の深いしがらみや、社会的な機構、そして、深く関わることで、究極的な感情を体験し尽くしてきました。

蠍座で私たちは、この俗世にある、あらゆるしがらみに縛られ、社会的な仕組みやルールにからめとられ、誰かとの究極的な関係性を通して、自らの化け物屋敷である、心の阿頼耶識に接触してきました。

こうして、結局、自分自身を最も、縛り付けているのは、自らが自分自身で創った、心の牢獄に他ならず、私たちは生涯、この自ら作った心のお化け屋敷の中で、その虚構に気づかず、本番さながらの、大ヒロイン、を演じてしまうことがままあるのだということを学んできました。

ここで、生涯を閉じ、次の人生への転生を待ち、また、少し成長した形で同じテーマに挑んでいく。

輪廻転生、カルマとは、そのように繰り返されていくものです。

しかし、射手座から始まるストーリーは、そんな心の阿頼耶識から、ついに脱し、魂のホームへと帰還する旅路が始まるのです。

蠍座までで私たちは、深い人間関係を経験し、誰かと深い感情体験をすることで、自分自身を深く知ることになります。この過程を経て、それまで完全に無意識だった自らの無意識の心の牢獄に気が付いていくのが蠍座のテーマなのです。

こうして、蠍座のテーマを終わらせた、射手座1度は、威厳のある軍隊の、共和主義キャンプファイヤーとなっています。

まず、キャンプファイヤーなどの火が出てくるときは、魂のアトリビュートとなります。魂とか、意識というのは、火の性質になります。

射手座は、柔軟宮の火のサインですから、周りに応じて変化する火なのです。

牡羊座は、能動宮の火ですから、火の性質そのものに、自らどんどん動き、勢いを増していく火で、他からの介在を許さない火です。

これに対して、獅子座の火は、不動宮の火ですから、そこに留まる火なのです。本来動き、勢いを増していく性質の火が、ひとところに留まるには、そこで火を絶やさずに燃やし続ける、火の番が、絶えず必要になるでしょうし、一つのところで燃え続けてくれる火は、太陽の性質でもあります。

火は本来、触れられない不可触のものですが、獅子座の火は、そこに留まって燃え続ける火ですから、太陽のように周囲を照らし、温め、生命力を与えてくれます。

だから獅子座の火は、崇められる火であり、特別なスポットライトが当たる火なのです。

これに対して、射手座の火は、周りに応じて変化する火ですから、

例えば、私たちの生活の中にある、電気とか、ガスとか、燃料といった生活に柔軟に対応してくれる便利な火であったり、

するわけです。

牡羊座の火や獅子座の火が、周りに合わせて変化するなどということをしない火なのに対して、蠍座を経験した後の射手座の火は、非常に柔軟な火なのです。

人の心や感情の、全てを経験し尽くしてきた後の世界が、射手座の世界ですから、相手の気持ちや周りの環境に応じて柔軟に対応することが出来ます。

でも、だからといって、蠍座までの世界でしてきたような、周りに合わせて自らもそこにからめとられてしまうようなことはもうないのです。

全ての感情を経験し尽くしてきたうえで、それでもなお、消えない火、燃やし続ける魂の情熱なのです。

どれだけ、感情の阿頼耶識に飲み込まれようとも、やっぱりそれでも、

自分の魂の意図を生きる。

そういう、大きな視野にすでに開かれているのです。

だから射手座は、宗教とか哲学とか、グローバルな視点、歴史、海外、学術などに関係してくるのです。

射手座1度では、共和主義のキャンプファイヤーとなっています。

共和主義は君主や王を置かない、国民が選んだリーダーが政治を収めている国のことを言います。

射手座の世界は、一人一人が、自律的な意識に目覚め、自由と自律を目指していく世界です。

ここでは、誰もが平等に発言する権利がありますので、ここで、フェアな話し合いが行われる必要があります。

例えば、蠍座までの世界観ですと、王がいたり、絶対的な権力者がいたりしますから、この権力者に逆らうものがあれば、打ち首獄門とか、はりつけにされたりするのです。

しかし、こうした、世界を脱してきたのが射手座の世界の始まりですから、意見が違うものがあれば、平等な話し合い、戦いが行われていくのです。

争うことは殺し合うことや、相手の存在を否定することではなく、自らを尊重するからこそ、相手のことも尊重することが出来る。

こうした戦いは決して悪ではないのです。

むしろ大いに行うべきなのです。

意見を交わし、折衷案があるかどうか、相手の意図は何か、論理的な話し合いが為されていく。

これが蠍座までの世界観だと、一気に、否定された!と感情的になって、

恨みつらみや、殺し合いに発展していくのかもしれません。

例えば、人間というのは、恋愛をしているときは、チンパンジーと同じくらいの判断能力に堕ちると聞いたことがあります。

周りが全く見えなくなって、未来を先見することが出来ず、20分先くらいのことまでしか、考えられなくなると・・笑

それが本当かどうかは、分かりませんが、感情世界の阿頼耶識に埋没しているときの人間とは、確かに、動物と同等レベルなのだとも感じます。

しかし、射手座に入った世界観では、感情ではなく、ロジックで話し合うことが可能になりました。

決して感情を知らないわけではない、感情は十分に知っている、でもそのうえで、論理的な思考力を保てるということです。

これが出来ると私たちは、話し合うことが出来、話し合うことができると、殺し合わずに済むのです。

この度数では軍隊も出てきます。

軍人は火の象徴で、火星の象徴です。自らの目的や、身を守るために、戦って勝ち取る性質です。

でもここでは、威厳のある・・となっており、退役軍人、もしくは経験豊富なエリート的軍人なのかもしれません。

また、共和政の、という平等性のキーワードが出てきており、

キャンプファイヤーを焚いて、それを囲んでいる風景です。

だから、戦いの象徴と、平等の象徴のキーワードが入り混じっているのですね。

射手座は火の性質を持ちますから、魂の意図を生きるために、戦いも厭いません。自らの掲げた意図にまっすぐに生きていく性質です。

でも変化する火ですから、この世の中のあらゆる環境的要因や、相手の気持ちなどによって、柔軟に形を変えながら、飄々と、その荒波をかいくぐっていくあり方なのです。

魂の意図を生きるって、そういうことなんじゃないかな。

何も知らずにただまっすぐに、無鉄砲に体当たりしたんでは、すぐに

荒波に救われたり、岩に激突して、撃沈してしまう。

でも、感情の阿頼耶識を経験してきた人は、それらの困難な壁も、柔軟に潜り抜ける技をすでに知っているのかもしれませんね。