ハロウィンの道化師

The Halloween jester.

サビアンにおける30度とは、そのサインの最後の度数であり、しめくくりです。ここまでで、そのサインの物語はすでに、クライマックスを迎えているので、30度のこの度数では、次のサインへ心置きなく移行していくために、最後のあまりカスまで余すところなく、放出しきっていきような物語が各サインで描かれています。

29度の時点で、次のサインのエネルギーが押し寄せて、混ざり合い、次のサインへ移行していくための混沌と挑戦が起こっていますので、

最後の度数では、最後の放出のような場面なのだと思います。

30は、30の3ですから、3の創造性と生産性が0で飽和状態、真空化するようなイメージと捉えていて、3が霊化して、無限エネルギーになるようなイメージが浮かびます。

3はもともと、生み出す、創造するエネルギーなのですから、そこの0が加わると、楽観性とか、放出力とかが、リミッターがなくなるように思います。

蠍座では、ここまでの物語で、自ら作りあげた心の牢獄から、解脱していくべく、命がけの試練を乗り越えてきています。

蠍座29度の、酋長に自分の子供の命乞いをするインディアンの女性という度数では、まさにそのような究極的な場面が描かれており、

自ら作りあげた心の阿頼耶識が、最後に絶対に離すまいと、むさぼりついてくる場面が描かれています。

これは、そのような究極的な事態が起こっていてあくまで自分の外がわで起こっている出来事かに見えますが、実は、自分で起こしていることであり、心の作用なのです。

私たちはそのくらい、自ら現実を創造するパワーを持っているということです。

でも、射手座の火の性質である、自らの魂のホームへと帰還するために、

この、阿頼耶識の起こしてくる、最後のむせび泣きに、命がけで向き合うのでしょう。

蠍座30度では、ハロウィンの道化師となっています。

一つ前の29度で、あれだけの、修羅場が描かれていた割には、拍子抜けするようなキーワードが並んでいます。

ハロウィンという、みんながお化けになって、町中が化け物屋敷になる日は、まさに、私たちが作りあげた心の阿頼耶識。

それが、作り物のおふざけだと、分かっているから、私たちはそれを演じ、楽しめるのではないでしょうか。

しかし、私たちの人生とは、得てして、この自分で作った化け物屋敷に、

いかにも本気で入り込み、本物の化け物劇場だと思い込んで、苦しみ迷い続けているものなのではないでしょうか。

一歩、引きで見てみたら、おかしいよね、滑稽だよね、いくらでも、抜け道も出口も、いっぱいあるよね、でも、それが見えなくなっているだけなのです。

本物さながらに、化け物屋敷で怖い怖いと、悲劇を演じてしまう。

それが、魂に帰還する前の、私たちの人生ではないでしょうか。

でも、蠍座のこのあたりの度数は、なんとなくすでに、魂のホームの音色を聞いている場面なので、29度の、命がけの劇場も、永遠に出口のないかに思えるような化け物劇場も、実は、演出だったんだよねってことを笑ってるような場面が、30度なのです。

蠍座の世界は、深い情の世界です。情ほどやっかいなものはない、と言われるように、

例えば、浮気や暴力を繰り返す彼を、頭では別れた方がいいと分かっていても、私が変われば彼も変わってくれるはずとか、彼から離れたら生活していけなくなる恐怖とかその悶々とした世界の中で、浮気と暴力を繰り返す男と暮らし続けてしまったり・・

アル中で朝から酒を飲み、家の中はゴミ屋敷で、子供に暴力をふるうような母親でも、お母さんはこんなことが辛くて仕方ないのよとか、お母さんのことを見捨てないでとか言われて、ずっと、母親と共依存状態に苦しんでしまう子供とか、

情という愛情があるからこそ、互いに離れられない共依存関係というものが、世の中にはたくさんあるのだと思います。

しかし、蠍座30度では、そういう、化け物劇場を、感情世界の視点から脱却して、魂の自由な視点で見て、人間の高次思考力で考える能力がすでに身に付き始めていますから、感情世界の化け物劇場に巻き込まれることなく、

客観的で俯瞰的な視点を持つことが出来るのです。

そうなると、もはや、その世界は、パロディです。

可笑しくて笑っちゃうようなものなのではないでしょうか。

お化け屋敷の出口はどこにでもあるし、なんなら、お化けはみんな偽物だし、いつでもそこからリタイヤしていく選択肢が私たちにはある。

お化け屋敷こそが、人生そのものだと思い込んでいたところから、

この化け物屋敷は、単なる非日常で、アミューズメントパーク、ちょっと、情緒的世界を楽しみたいときに触れる、ハロウィンのお祭りのようなものだと気づくのです。

心の阿頼耶識の人間劇場は、私たちのアストラル体のイメージ力が作りあげるものです。私たちはそこに完全に無意識であるとき、その自ら作りあげた感情劇場に翻弄され、そこに完全にはまり込み、阿鼻叫喚を繰りかえすのですが、魂の羽音を聞き始めると、そのお化け屋敷は自分が作りあげたもので、それが自分のすべてではないと気づくようになるのです。

そして、その化け物屋敷を恐れおののき生きるところから、その化け物屋敷すらも自分の一部として、愛し、それに食われることがなくなるのでしょう。

私たちの物語は、誰かや何かと深く関わり、蠍座世界の感情を体験し尽くすことで、自分を知り、自分の無意識に気づき、魂への接触が始まり、ホームへの帰還が、始まっていくのでしょう・・