寺院の左側にある物質的悟りをもたらすランプ

The lamp of physical enlightenment at the left temple.

サビアンにおける11度の度数は、5度区分ずつの6つのグループ分けにおける、最初の度数です。

ここから第3グループが始まるのです。

射手座の第2グループで、高い精神性へと到達し、内面的な奇跡体験をして、そのミラクルが現実創造を引き寄せた経験をすることで、

精神が意図するものと現実とが繋がっていることを、しっかりと着地させた経過があったのだと思います。

射手座の6~10度までの第2グループは、こうした精神の使い方の開発を試みている場面だったと思います。

ここから始まる第3グループでは、精神が引き起こしたミラクルを

偶然にも体験したことで、魂の道を歩み始め、現実創造の過程に入った人は今度は、その「ミラクル」を探求したくなるのでしょう。

自分に起こったことは一体どういうことなんだろう、という

果てない探求心が湧いてくるのだと思います。

古代から続く教えや、伝統の中に、自分が体験したミラクルのを、解き明かす秘密がすでにあるのではないかと、精神探求の道へと入っていきます。

射手座は、宗教のサインとも言われますが、射手座第3グループは、

3のエネルギーがありますから、こうした精神世界を、とても活発に、行動的に、追い求めていく傾向となります。

射手座は9番目のサインですが、タロットカードの9番の大アルカナは、隠者というカードで、ローブを被った老人が、孤独に精神の道を一人、探求している姿が描かれています。

これは、物質的なものや、実際的な世界よりも、より自分自身の魂にフォーカスし、内面的な充実と、精神の高み、悟りをとてもストイックに

求めていく、動のエネルギーなのです。

9は奇数ですから、悟るために、果敢に行動をするのです。

悟りって、本当は、宗教に入らなくても、山籠もりしなくても、

日常の生活の中で、受け身であっても、得られるものだと思うのですが、宗教や秘教的な教えに邁進しているときって、悟りたい、悟りが欲しい、という究極的なエゴが働いているときですから、悟るためならば

なんでもするといったようなニュアンスすらあるのです。

この度数は11度ですから、とてもストイックな態度で、悟りの道を求めていっている激しさ、のようなものを感じさせます。

そのためならば、実際的な社会生活は捨ててもいいとすら思っている様子です。

実際に、インドの行者など、悟りの道へと入るものは世俗生活や金銭、家族などの一切を捨ててその道に入ると言われます。

少しでも、高次のミラクルを体験し、魂に接触し始めると、人は、その世界に熱狂的に、何もかも捨てて入っていきたくなるものなのかもしれません。