玩具の馬に乗っている小太りの少年

A chubby boy on a hobby-horse.

サビアンにおける25度の度数は、5度区分ずつのグループ分けにおける、最後の度数です。

そのサインの後半の成熟されたテーマをこの度数をもって、完結させていきます。

25は、土台に3を置いた7の数字です。7の数字は、奇数で素数ですが、何かと何か。相反する陰陽のエネルギーがここには存在し、その落差を、超越して、上昇、前進していく、女性性エネルギーを内包する、活性化された男性性エネルギーがあります。

ここで意識される、相反するエネルギーとは、おそらく、射手座のエネルギーと、次のサインである山羊座のエネルギーなのだと思います。

山羊座のエネルギーが本格的に流入してくるのは、26度以降はじまる、第6グループからなのですが、25度のこの度数では、少しずつ、山羊座が匂ってきているのを感じます。

24度の、家のドアにとまっている青い鳥の度数で、射手座の世界観は、理想の境地を完全に住処を移動し、理想の暮らし、安定した生活を、手に入れていました。

そして、真の充足した、この世の幸せすらも、手に入れている場面が

24度では描かれていたと思います。

射手座の幸せとは、物質的なものも、精神性もどちらも欲しいわけですから、精神性を高め、魂の意図を生きるために、物質的な生活の安定や充足も手に入れる必要があったし、物質的な安定と豊かさを手に入れたことで、より、精神性も高めることが出来たという結論が、24度では描かれていたのです。

そして、真の幸せとは、この物質的な幸せと、精神的な幸せ、両方が備わっていないと、真に幸せを手に入れたとは言えないのだと思います。

精神性を高めようとする人、スピリチュアルに成熟したいと願う人の中には、物質的な安定や豊かさを、軽く見てそこに向き合わない人も多くいるように思います。

それよりも、精神性を高めることが大事と、真面目に勉強や日々の鍛錬を行うのですが、物質的な豊かさに向き合わないまま、これをしてしまうと、どこかバランスを欠いた状態の人がやはり出来上がってしまう。

また、逆も然りで、物質的安定や豊かさ、社会的成功や名誉ばかりを求める人で、精神性や心の成熟や充足と向き合わない人は、いずれどこかで、深く自分自身の心と魂に向き合っていかなければいけないような事態に陥るわけです。成功者で何もかも手に入れた人が、家庭を顧みず、遊んでばかりいて、家族を失って、仕事も失って初めて、本当に大切な者は何か、気づくとか、身体の健康を害して初めて、向き合わざるをえなくなるとか、鬱状態になってどうにもならなくなって、スピリチュアルに目覚めるとか、そうした話はいくらでも聞くわけです。

射手座24度では、物質的な幸せも精神的な幸せも、どちらも手に入れて、本当の意味での幸せの青い鳥を見つけた境地が描かれていました。

こうした過程を経て、25度では、おもちゃの馬に乗っている小太りの少年という、キーワードになっています。

この度数も、とても深い意味を示唆しているな、と思うのですが、

24度で、物質的な幸せも、精神的な幸せも、どちらも手に入れて、

真の意味での幸せを享受した人が、その後至る、ある種の、停滞。についてこの度数では言っているのだと思います。

24度のところでも少し触れましたが、より多くのものを手に入れ、より大きな目標を達成することが出来た人、というのは、

より多くのものを出し、より多くのものを循環させていくことが出来る人だと、前度数でも書きました。

この人はもう、宇宙に自分を明け渡しており、循環の触媒になれる人なのです。

だから、自分の所に入ってきたものを、自分のものだ。と頑なに握りしめていてはいけないし、

安定した豊かで充足した暮らしの中で、自分と家族が楽しむだけの生活をしていたら、この度数で描かれているみたいに、

体重が増えてきちゃって、太っちゃって、おもちゃの馬に乗って、お茶濁してる、若干暇な人。になっていっちゃうわけです。

全てを手に入れた人なのだから、何もしなくてもいい人生なわけです。

何もしなくていい人生だからこそ、何をするか。を、真剣に考えていかなければならない。

理想の幸せを手に入れ尽くした人だからこそ、今度は、自分が媒介になる、循環を請け負う人材になったのだということを認識しなければならない。

それをきちんと認識せず、毎日、ただ、おもちゃで楽しんで暮らしてたら、やっぱり停滞してきちゃうわけですし、役目を放棄しているってことなんですよね。宇宙的に言うと。

この境地に至って、初めて、自分が何をしていくのか。どんな循環を請け負っていくのか。を真剣に気づき、目覚めていかなければならないのだ。

これは、山羊座が徐々に流入してきて、より、社会的になっていく。

より、社会に対して循環を起こしていく、という、大きな流れを請け負っていく、前兆が現れているものと見えるのです。