美しい流れにかけられた古い橋

An old bridge over a beautiful stream.

サビアンにおける28度の度数は、土台に4を置いた10の1の数字のエネルギーです。10はゴールであり、1はスタートです。

ここでは一つのステージが終わりを迎え、新しいステージが幕開けた

場面なのです。

サビアンでは、一つ前の27度までで、そのサインの性質を成熟させ、創造的に活用する場面にまで到達しきります。

そして、この度数あたりからは、徐々に次のサインのエネルギーが流入してきて、混ざり合うような物語になっていきます。

ここでは次のサインは山羊座になりますから、

山羊座のエネルギーと、射手座のエネルギーが、混ざり合っていきます。

射手座ではここまでで、自らが成しえた、真の成功幸福哲学を、

自分だけのものにせず、それを他者に伝え、他人の人生を変える貢献をすることを覚悟を決め、やってきた過程がありました。

こうして、実際に、この射手座的真の成功幸福哲学を体験した人は、

人生が一変していくような人もたくさん出てきたのでしたね。

しかし、

この秘儀のような奥義のような教えは、誰しもが使いこなせるものではなく、一部のすでにそれを使いこなすだけの意識レベルに達していた一部分の人には、何とか活用できるような、鋭い刃物、刺激的な爆弾のような効果の強すぎるものだったのかもしれません。

ですから、ある大部分の人たちにとっては、刺激が強すぎて、やけどしてしまったり、自分自身を焼き尽くしてしまったり、鋭すぎる刃物を使いこなせなくて自分自身を切り裂いてしまったり、といったことも

起こりえるモノだったと思います。

こうして、自分の思想や教えが、他者にとっては危険にすらなりうるということも知った射手座的人物は、「伝え方」であったり、「どこまで伝えるか」という尺度を少しコントロールしたりするようになるのだと思います。

ここではすでに山羊座のエネルギーが流入してきていますから、

射手座的な精神性の高まり切った火のエネルギーは、一部の意識レベルに到達した人にとっては、人生を変えうるほどの重要な教えになるのに対して、ここでは、山羊座的な地の次元に落とし込まなくてはいけない場面が訪れているわけですから、

大部分の人に分かる。とか、

一般大衆的なものに落とし込む、とか、

殆どの人に適応可能な範囲に留める。とか

そういう作用になってくるわけです。

こうなると、射手座的な火のエネルギーの魂の教え。を、活用できるレベルに到達していたほんの一部分の人たちにとっては、もはやつまらなく、思えてしまうようなものになってしまうのかもしれないのですが、

山羊座的な世界に入る準備を始めている、この度数では、

より「大部分の」一般大衆的な、ようはマジョリティに、指針を

合わせて行くわけです。

28度では、美しい流れに架けられた古い橋、というキーワードになっており、射手座的な教えは、もはや言語すらも超えた、研ぎ澄まされた精神で、受け取るようなものだったものを、

ここでは、そうした崇高な思想哲学を、古くて、馴染んだ言葉に

要約しなおしたり、大部分の人たちが馴染んだ考え方や、理解できる

常識的な表現に下降させていくわけです。

こうなると、もはや、元々の、射手座的火のエネルギーを持つ哲学は、

要約されすぎて元の教えがなんだったのか、分からなくなってしまっていると思うのですが(現代の宗教はこれにあたりますよね)

それでもここでは、山羊座の世界に入っていくのですから、

その、大部分の大衆性に、あえて橋をかけて、秘教の教えを、

分かりやすいものにしていくのです。

例えば、元々あった、ヴェーダの思想や、真の聖者のみがインドの山奥で、受け取っていた宇宙哲学を、次第に原始仏教の流れに入っていき、

その後、その崇高な教えは、一部の崇高な意識に達した、修行僧にしか、得られないものなのか。という不満が、庶民の中に広がっていきます。

こうして、大乗仏教の流れが出来てきて、皆で悟ろう、南無阿弥陀仏とだけ唱えていれば誰でも、悟りに到達できるという教えに変わっていったように・・

これは射手座的世界の終焉と、退屈を現すものであると同時に、

あらゆる人たちとの間に、橋を架けて、多少、崇高さが薄れても、

沢山の人に教えを広めていく覚悟を決めた度数でもあるように思います。

ここでは、射手座的な死を迎えると同時に、

より、社会の中で、自分の役割を果たしていこうとする覚悟を

決めている度数にも見えるのです。