熱弁する婦人参政運動家 A woman suffragist haranguing. 16の数字は、4が4つ、8が2つ、どこをどう切り取っても、陰陽と四元素などといった物質界の法則が極まり切った様子が浮かびます。 物質性が極まり切って、飽和状態に達し、圧縮されたその固まったエネルギーは別のもの(空)へと、姿を変えていく。 8は極まる切ることで、物質性を完成させ、別の次元へと昇華していくという数字のエネルギーを持ちます。 16の数字は、タロットカードでは塔のカードになります。15番の悪魔のカードで、環境に対して、強い主張や、エゴを放ち、自分の思い通りに支配しようとします。 こうして、マックスまで、自我とかエゴが高まり切って、張り詰め切った後に、 16度で、その高く高くそびえ立った、バベルの塔は崩壊をみます。 サビアンでは、16度で、反対側のサインのエネルギーが流入し、陰陽のあちら側のエネルギーと出会うのです。 15度まで、何の疑いもなく、ストレートに成長してきた、若きそのサインの物語は、15度でマックステンションに達し、16度で、大きく、解体され、一度大きく縮みこむような経験となります。 双子座においての反対側のサインは、射手座ですので、双子座16度では射手座のエネルギーがこの度数で勢いよく入ってきます。 また、5度区分ずつの区切りでは、この度数から20度までが、第4グループになります。双子座第4グループでは、射手座のエネルギーが流入してきますので、 それまでの双子座だけの風の世界に対して、火のエネルギーが流入してくることになります。 これまでの、双子座オンリーの風的な世界観は割と、コミュニケーションにおいてもさっぱりとしていて、べたべたとした感情のやり取りがあまりなかったように感じます。 また、知的な領域においても、自身の個性を開くために、淡々とそれを求め、活用していくという、やはりどこか、ロジカルに体系立てられたイメージがここまでずっと統一してあったのではないかと思います。 しかし、火の射手座のエネルギーが流入してくる、この16度の度数はいきなり、 婦人参政家が出てきて、熱弁していて、何やら穏やかではない様子です。 双子座のコミュニケーションとはあくまでも、対等なやり取りが主体にあるように感じます。言葉と知性を駆使して、他者と意志疎通すること、またそうすることを通して、学習し、生きるための情報を獲得し、それを人生に生かしていく。 そういう、主軸があると思います。 しかし、この16度では、射手座的な火の情熱であったり、感情的な要素が入ってきて、単に、情報や知識がそのまま入ってくるというよりかは、そこに感情の要素が乗っかってるのを感じるのではないでしょうか。 私たちは、勉強や学習をするとき、単に、本に書いていることを、淡々と、読みこなし、暗記し、ノートに写して・・といったことを繰り返していく学習と、 どうにも感情が動いて仕方ない、ワクワクしたり、時に、怒りが出てきたり、不安になったり、ころころと感情が動くような学習もあるとは思いませんか? そして、得てして、強く深くのめり込み、集中できる勉強とは、後者なのだと思います。 私たちは何か知識を習得するとき、何かを学ぶとき、この感情が動く、という要素が、その学びと深く繋がっていけるかどうかに、強く関わっているのではないかと思います。 感情が全く動かない勉強、例えば、学校の勉強とか、与えられたままにこなす学習などは、何の感情も動かず、単位を取るため、とか、資格を取るためとかに淡々とする勉強もありますね。 そうした学習ももちろん必要な時はあるのですが、やはり、感情が動かない学習よりも、ワクワクしたりハラハラしたり、時に、魂が揺さぶられるような勉強というものがあると思います。 射手座の知的探求とは、まさにこの魂が揺さぶられるような学習のことを言いますので、こうした射手座的な火の世界感が、ここから流入してくることになるのです。 双子座の学習とは、風的ですので、広く浅く、広がり、異化し分類し切り分ける学習なのに対して、 射手座的な火の学習とは、高く一直線に立ち上り、どこまでも、魂の導かれるままに、深く強く探求していく、そういう学習なのです。 それは、生きるために、冷静にロジカルに、考えて必要と思われる双子座的な学習に対して、射手座的学習とは、魂の栄養分であり、どうしようもなくワクワクして、感情が動き、時に涙するほど、揺さぶられる学習なのだと思います。 16度は、それまでの双子座らしさが、いったんぶち壊されて、射手座のエネルギーを受け入れる場面ですから、この情熱的で威圧的で感情的な婦人参政家に 大いに煽られ、感情的に掻き立てられ、持っていかれてる様子が描かれているのだと思います。 16度では、それまでの双子座の淡々とした風的、知の世界から、いきなり射手座的な、どうしたって、情熱とか、情動とか、感情が、ぶるんぶるん揺さぶられるような情報や知識に始めて出会って人生がひっくり返っていくような場面を想起させます。 婦人参政家は、人々の感情を煽る術を知っています。 人々は、今の生活や、暮らしに、眠りの状態で迎合していて、疑問を感じないように生きていたのに、この参政家の話に、真実を読み取り、魂が、ぐらぐらと揺さぶられ、感情を掻き立てられます。 真の知性、真の情報とは、時に、そういうものなのだと思います。 この度数とは、そうした「知」に出会っていく場面なのです。 |