二人のオランダ人の子供が話している
Two Dutch children talking.

15度は、サビアンにおいて、そのサインの真ん中に当たり、頂点になります。 15度まで、サインの前半の資質がストレートに、勢いよく育ってきて、この度数で、 マックステンションとなりますから、 15度では、直線的で最もパワフルな形の双子座らしさが、ここで、出来上がります。

15は、6と拮抗関係にありますから、環境に流されたり、調和したりはしないのです。環境に対して、力強い主張を放ち、環境を支配しようとします。 そのくらい強いパワーが働くのが15度です。


こうして、なんの疑いもなく極まり切った双子座らしさは、次の16度にて、反対側のサインの射手座が流入してきて、いったん、全てが崩れ去り、反対側の陰陽のエネルギーを受け入れるという大きな挫折の場面を経験します。


双子座の15度では、二人のオランダ人の子供が会話しているのです。
これは、そのままの情景を思い浮かべてみると分かりやすいと思うのですが、 子供と子供の会話って、なんだかちぐはぐで、素っ頓狂なやり取りをしてることが 多いと思いませんか?


一つ前の14度で、テレパシーによる会話を試みることで、言語ではなかなか伝わらない微妙なニュアンスである、非言語領域の情報を読み取り、お互いを深く理解しあおうとするコミュニケーションに挑戦しました。
文字や言語だけでは、また知性的な会話だけではどうしたって伝わらないことがあって、分かり合えないことがたくさんあるのだということに気づいたからでしたね。


しかし、そうは試みてみたものの、ここは舞台は双子座です。 あくまでも、情報を交換し合い、その情報によって己の個性を発揮し、更に 生きるために有益な情報を交換し合おうとする世界なのです。


非言語的なコミュニケーションを試みたところで、それが、愛し合う恋人同士や、 50年一緒に暮らした夫婦でもなければ、どうしたって、言語を駆使してお互いの意思疎通をする必要がやはりあるのです。


例え、50年一緒に暮らした夫婦だって、言葉の大切さのなんたるかは、変わらないのではないでしょうか。


この度数では、まず子供が会話をしています。子供同士の会話は、その表現の稚拙さや、語彙数の少なさ、また、子供という存在がそもそも潜在的な存在で、 意識的に、自分の気持ちを上手に言語化することなどできない存在です。


この度数では、私たちの会話とは、所詮、大人同士であったとしてもそういうものなのかもしれないと言っているのかもしれません。


言葉によって理解しあったり、自分の話した言葉で、自分の考えや、意見を伝えたいと思って、いくら言葉を駆使しても、何一つ伝わらない、ということって、 実はよくあるのかもしれません。


それでも、私たちは、言葉によってしか、他者とコミュニケーションをとる手段がなかったり、やっぱり、どうしたって、現代社会では、自分の考えていることを伝えるためには、言語をどれだけ巧みに操ることが出来るか、というその能力が試されます。


でも、やっぱり、この度数のように、子供と子供が、掛け合ってるようかのようなレベルでしか、伝わりあえないものなのかもしれないなぁと思います。


それでも、私たちは、やっぱり、他者とコミュニケーションすることを辞めないし、 分かりあうことを求めるのだと思います。


意思の疎通が出来た、と感じられたときの喜びってひとしおなのだと思います。 15度という、環境に対して、強い主張をしていく、自分の要請を世界に強く押しつけていく度数において、二人の・・という、2の数字が登場しているところが双子座らしさなのだと思います。


2というのは、対等に交流しあう陰陽の関係です。

本来の15のエネルギーであれば、強い主張があって、中心の存在が世界に欲求を放つのですが、双子座の15度のマックステンションとは、それでも 関わりあい、それでも言葉を交し合い、話そうとする、理解しあおうとすることを辞めない。


それがたとえ、子供同士の素っ頓狂で、脈略の無い稚拙なやりとりであっても、 私たちは言葉を駆使するし、言葉を使って他者とコミュニケーションすることをあきらめたくないのだと思います。


自分の考えや、気持ちを、言葉にする。って本当に難しいことだと思いませんか? 自分の感じてることを、言葉にしようとすれば、何一つ言葉が浮かばない、 文章にしろと言われても、一文も書けない・・そういうジレンマが誰しもにあるのだと思います。


でも、そこで諦めないで、言葉を駆使する、そのために言葉を使う方法を学び、日々訓練することを辞めない。 そのことで、自分と、誰かとのお互いの扉が通じ合い、分かり合えるかもしれないのだから。