広く平らな場所に吊るされた男
A man suspended over a vast level place.
蟹座は、個人の意識を発達させることよりも、共同の意識の中に個を同調させていくレッスンの始まりです。
双子座では個人としての意識を発達させ、個性を育成してきたストーリーがありましたが、蟹座では、より大きなものの中に自分を溶け込ませていく。
そのことで、他の人と、理解しあったり、分かり合ったり、自分の属する共同体の意識に従属していくことになります。
1度で、自分たちはこういう船に乗った乗組員一団です。と高々と旗を掲げた流れが始まりました。
蟹座の始まりの物語は、己。という個人ではなく、私たち。我々。という主語から始まっています。
2度では広い場所に吊るされた。状態が描かれています。
2という数字は、1に対する陰陽関係にあるとお話しました。1というのは、本来は個人性であり、個の存在について定義されるものでありますが、
蟹座においての1は、「私たち」ですから、その私たちに対して、2度では、
個人が、全体に対して、吊るされている状態がイメージできるのではないでしょうか。
広大な場所それは、全体の意識、集団の意識のような果ての見えない、
個人のレベルでは到底及ばない、膨大な意識の群れのようなものなのではないでしょうか。
古くから何世代にも受け継がれてきた歴史や、文化、そうした長い時間の中で、
培われてきた価値観。というものが私たちの世界にはあります。
私たちは、個人のレベルにおいて、その膨大過ぎる世界観には、どうしたって
太刀打ちできようもありません。
この度数では、こうした途方もない膨大な意識の荒野のような場所に、
たった一人吊るされて、全体像も見えなければ、自分がどんな立ち位置にあるのかすら分かりません。
また、立っていることすらままならず、さかさまに吊るされて手も足も出ない状況が描かれています。
これは、個が完全に、全体に付随し、従属し、一部となった姿が象徴的に描かれているのだと思います。
ですから、ある意味、個人レベルでは到底超えられなかった、可能性に開かれている、とも見て取れますし、
個の意識レベルでは到底成しえなかった、真の意味で相手の心を理解する
深いコミュニケーション、となるかもしれません。
個が全体に飲み込まれてしまうことで、生まれる新たな可能性や
個人レベルでは持ちえなかった、才能や能力、というのもまたあるのだと思います。