ヨッドを待つ女

A woman awaiting a sailboat.

サビアンにおいて、21度と22度は、拮抗しあう、陰陽関係にあるというお話をしました。

21度ではそのサインの最も活動的な場面が現れ、16度以降の後半度数で、向こう側のサインの性質を受け入れ、大きな挫折を経験した後の成熟が、

このあたりでは到達していますので、

単なる新入社員とか、若手の、勢いだけの当たって砕けろ的な活動力とは違うのです。

一度大きな挫折を経験し、その挫折の責任を取り、そこから這い上がってきた

中堅どころの脂の乗り切った経験豊かな社員が、いろんな経験を踏まえた上で、

戦略的に、自らの性質を出し切って行こうとするのが、21度からの第5グループからの流れになります。

蟹座では、一つ前の21度で、プリマドンナは歌うことを通して、自分らしさをめいっぱいに出し切り、そして、たくさんの人の心と繋がりました。

蟹座の一番崇高な目的を、21度では、果たしていくために、思いっきり挑戦していくのです。

21度では、自らの子育てや母としての愛情や、家庭生活の中で、経験してきたこと、そして、愛する者を守るために、社会の中に出ていって戦ってきたこと、

いろんな経験を経て、それが全ての、美しい歌声となり、たくさんの人の心を震わせたのでした。

蟹座22度では、ヨッドを待つ女、という物語が描かれています。

来るか来ないかも分からない船を、波止場で待ち続ける女・・イメージしただけで、とても受け身な印象を感じさせます。

一つ前の度数の、たくさんの聴衆に向けて、自分の全てを歌に乗せ、心を通わせ、震わせようとした、あの世界観とは、真逆な印象を受けます。

プリマドンナは、自分の全てをかけて、たくさんの人の心の働きかけました。

こうした在り方は、蟹座的な世界観における、最も活動的な表現なのだと思います。

蟹座は、心と心を通わせたい、共感したい、同じ場や空気を共有したい、

だから、自分の内面性の全てを出し切って表現したのが、前の度数のプリマドンナです。

そして、おそらくたくさんの人に感動を与え、たくさんの人に感謝されて、

多くの人と心と心を通じ合わせることができたのでしょう。

そして、一緒に音楽を奏でたり、創ったりする仲間とも、とても親密で、

素晴らしい関係性をたくさん築けたことでしょう。

彼女の歌声に救われ、心が洗われ、たくさんの感動をもらった人もたくさんいたことでしょう。

結婚式の司祭で、社会に出て自分らしく働こうとしたものの、やはり、内的なものや大切なものを完全に犠牲にしないことは難しかったので、

実家の稼業を手伝うことで、なにも犠牲にしない安定した生活を手に入れたけれど、

心の躍動や、湧き立つような感情がどこかへ行ってしまい、生きてるのかどうなのか、分からないような感覚になってしまった、蟹座の物語がここまでありました。

そして、最も蟹座らしい世界観を、思いっきり表現したのが、一つ前のプリマドンナの度数だったのでしたね。

ここで、自らの強くて熱い、湧き上がる情感の世界を通して、たくさんの人と繋がり、蟹座的な願望を叶え、満ち足りることができたのです。

しかし、蟹座を表現しきったことで、起こる反作用が、この22度で表れてくるのでしょう。

それは、どんなものなのでしょうか・・?

反対側の山羊座の21度ではリレー競争となっており、社会の中で、

どんどん活動を増し、勝ち抜いていく、世界観が描かれています。

そして、山羊座22度では、敗北を認める将軍となっており、負けることを通して、

勝ち続けたときには得られなかった物を得ていく。

21度の陽のモードの活動性ばかりを、成功とかポジティブと、現代の私たちは、

認識しがちですが、22度の陰のモードに入った時に、どう在れるか、というのは

真の社会的大人意識を獲得していくために、必須のレッスンだったりします。

陽の後には必ず陰のモードが来る。

この時に、破滅的になってしまうのか、その陰の作用を生かし切っていくことができるのか、が、大きく問われるのです。

拮抗関係にある山羊座の21度、22度ではそうした世界観が描かれているので、

反対側の度数の蟹座でも似たような状況があるのです。

蟹座22度ではヨッドを待つ女となっていますが、

一つ前のプリマドンナで、情感を出し切り、自分らしさを表現しきり、

沢山の人の心と繋がるための活動を行ったのでしたが、ここでは、成功とか、採算とか利益とか、そういうことは、全く、論点になかったわけです。

仲間や聴衆の人たちと共感しあうことが目的だったのですから。

だから、もしかしたら、利益は一切ないかもしれない。

それどころか、赤字なのかもしれない。自分が無給なだけならまだしも、

関わってくれた仲間や、友人たちも、無給、もしくは赤字になってしまっているかもしれない。

でも、ここでは、心と心が繋がるために、みんなが感動を共有するために、やったことなのだから、利益が出なくても、お金にならなくても、名声や成功に繋がらなくても、全然いいんだよ。って仲間は言ってくれるでしょう。

でも、それが一回、だけならまだしも、2回、3回とそういうことが続き、

それが、当たり前の状態になっていったらどうでしょう。

どこまで、その状態を、真の意味で、受け入れていくことができるのでしょうか。

自分らしい表現をして、自分たちが一番好きなことをして、そして好きなものを共有しあう仲間がいて、皆で、それを楽しむことが出来て、こんなに楽しいことはないし、真の友人たちと、そんな活動が出来たら、この上ない幸せだ。

確かにそうなのです。

それが蟹座の求めるものだから。

しかし、やはり、それは、蟹座的な世界観を全うしたいがばかりに出てくる

歪であり、偏りなのだと思います。

かといって、ここまで蟹座は、社会活動において自分らしさを犠牲にしない在り方において、十分すぎるほど模索してきているのです。

だから、ここに来て、もといた場所には戻れないし、妥協して、また大事なものを犠牲にする生き方は絶対にしたくない訳です。

だから、どうするか。

そう、もう、待つしかない。のです。

そのヨットは、来るか来ないか、分からない、

もしかしたら一生来ないかもしれない。

でも、今はもう、待つ。以外に方法はないし、それ以外は許されていないところまで来ているのだと思います。

だから、もう、あとは、プリマドンナの放った歌声が、たくさんの人に届き、

youtubeで、莫大に拡散されて、大人気になるとか、

レコード会社の目に留まって、爆発的にヒットするとか、

そういう「奇跡が起こる」のを待つよりほか、ないのです。

その奇跡を夢見て、今はひたすら、待つ。

待つという、陰の作用を、巧みに使って、奇跡を起こそうとする。

既存のやり方は全部やり尽くした。

考えうることは、全部やってみた。

でも、最後の最後に、自分が出来ることは歌うことだった。

それしかなかった。

ダイスは振った。

あとは待つだけ。待つしかできないのです。

その夢のような奇跡を、人は大概、笑うものです。

「夢みたいなことばっかり言ってないで現実を生きろよ」って。

確かにそれも正しい。

そして、実際に船は来ないかもしれない。

来ない確率の方が99%なのです。

でも、この陰の作用を、使い切ったものにのみ、

訪れる、最後の1%の奇跡、というものが存在するのです。