黒い影が突然、右肩越しから投げかけられる

A dark shadow or mantle thrown suddenly over the right shoulder.

25の度数は、土台に3を置いた7のエネルギーを持つ度数になります。

また、この度数をもって、5度区分ずつにおける第5グループは完結となります。

第5グループはそのサインの最も成熟した形での成果を出し切るような場面ですから、この25度をもって、蟹座の成長ストーリーは完結編を見ることになると思います。

次の26度からは、第6グループであり、最後のグループに入っていきますので、

蟹座で食べたものを、消化して出し切っていきながら、獅子座のエッセンスを、感じ始めていくという流れになります。

下地に3を置いた7ですから、25度は、やはりとても活発で、表現豊かななのだと思います。7の数字とは二元の統合に関わり、3が土台にあることからも

25度は、一つ前の24度で、ストイックにサインの性質を掘り切って、限界を突破し、25度で、そのサインの多次元活用のようなことがいよいよできるようになってくる、ということなのかもしれません。

それまでは、一歩一歩、そのサインのレッスンを学んでくる形だったのに対して、

この度数まで来ると、これまで学んだことが全部統合されて、点と点が繋がり、線となり、それが更に統合されて曼荼羅のように全体像が見えて、そのサインの性質の全スイッチを押せるようになることで、活用しきる。のだと思います。

それは、そのサインの性質の最も豊かな表現に繋がるのではないかと思います。

蟹座の25度では、突如、右肩越しに黒い影が投げかけられる、という様子が描かれています。

右肩越しを後ろから、という風にイメージすると、おそらく、生命の樹でいう向かって左柄のヘルメスの柱(構造の柱)の方に、黒い影が投げかけられて、

今までの知識や経験が使えなくなる、ということなのかもしれないし、

その分、反対側のオルフェウスの柱である、右脳的な創造力のほうを使っていくことが描かれているのではないかと思います。

私たちはとかく、何か物事を行う時に、経験や知識から判断や選択をしていくのですが、真の創造性というものは、もう片方の右脳的な感覚をバランスよく使うことで、醸し出されるものなのではないかと思うのです。

この一つ前の度数では、最果ての理想郷で、普通の生き方とは全く違う、生き方をしてきた仲間たちが描かれていました。

彼らは、今の世の中の構造に対して、とても鋭い感覚を持っていて、

そのおかしな仕組みの中で生きるのではなく、自分たちが最も生きやすい、生き方で生きていく覚悟を決めて、共に、理想郷を作ることをしてきたのでしたね。

そんな彼らが、何らかの形で、世の中に今度は逆に注目され始めるという過程がこの度数では描かれているのだと思います。

21度のプリマドンナの所では、自分自身の全ての生きざまを出し切って、

想いを歌声に乗せて、沢山の人の心に向けて、メロディを放ったのでした。

それは、確かにたくさんの人の心を震わせたし、たくさんの人と共鳴し、感動も共有したのだけれども、結局、奇跡は起こらなかった。

どうしても起こしたいと思った奇跡は起こらなかった過程が、ここまでであったのでした。

そして、そんな世の中にうんざりとして、それならばもういい。と世を捨てて、

自分たちが生きやすい世界を人里離れた山奥に求めるような流れがありました。

誰にも見つからないように、無人島や、未踏の山奥で、ひっそりと仲間と共に

自給自足の暮らしをしてきた彼らです。

世を憂い、批判し、俗世を捨てることを選んだ人たちなのです。

しかし、捨てれば今度は向こうから、求められる。という不思議なことが起こるものなのかもしれません。

あれだけ熱狂的に、想いを放った時は、叶わなかったのに、共感は呼んだけど、

上辺だけの感動なのか、金銭や豊かさはついてこなかった。

それならば、と物質的な俗世を諦めて、金銭を一切使わないような

最果ての山奥暮らしをし始めたら、今度は、そんな生き方が世の中のたくさんの人の興味を誘い、一大ムーブメントを起こしていく。

そんな奇跡が、ここに来て起こり始めるのかもしれません。

今の世の中の大多数の人たちが求めるものを、この最果ての村の人たちは

何も持ってないし、求めない、でもなんだか、とっても幸せそうに暮らしている。

そんな姿を見た、俗世界の人たちは、今度はそんな彼らの生き方に憧れを持ち始めるのです。