嵐の後の陽光
Sunshine after a storm.
サビアンにおける16度は、ここからサインの後半の物語が始まります。
5度区分ずつ分けた場合では、16度から20度までは、4グループとなり、受動的な性質となります。
15度までの前半のストーリーでは、サインの純粋な性質をまっすぐに育ててきて、15度で頂点にその活力が達しました。
獅子座15度は山車というなんとも派手なキーワードで描かれています。
お祭り、神輿、宗教、熱い情熱と信念、獅子座らしさが何拍子も揃って、
前半の獅子座のストーリーのフィナーレを飾っています。
獅子座的な熱狂的な魂の演出は、獅子座の最初の度数でも示されていたように、伝染病のように周囲に感染するようなそのくらいの強い力を持つものです。
それは、とても崇高なパワーにもなり得ますが、獅子座的な熱狂とは、いわば
熱に浮かされた。状態であるとも言えると思うのです。
私たちは、誰しも、ある時、局所的に、こういうパワーが一気に出るときがあります。
火事場の糞力などとも言いますが、真に集中力を発揮するとき、私たちは普段では思いもよらないような力を出すことができます。
しかし普段はほとんどの能力が潜在的となっていて、水面下に隠されていますので、こういう力が眠ったままになっています。
しかし、ここぞっという力を出さなければいけないようなとき、私たちはどこか自分の内側からこういう無限のようなパワーを出すことができるのです。
しかし、獅子座的な熱狂とは、こうした山車の度数で描かれるように、
とても局所的で一つの箇所に集中した熱量であると感じます。
静かに淡々と長きにわたって出るようなパワーとは少し違うように思います。
やはり、それは火のエネルギーであり、燃え上がるパワーなのだと思います。
16度では、反対側のサインの性質が流入してきますので、この度数では水瓶座の風のエネルギーが入ってくることになります。
火のサインと風のサインの拮抗する性質とは、火は右脳的、直感的、情緒的という性質で、風は、左脳的、論理的、思考的といった性質を持ちます。
ですから、火の性質に風の性質が入ってくると、熱に浮かされた、または情熱的、情緒的になりすぎた資質に対して、冷静さとか、論理性とか、冷めた頭、俯瞰的なものの見方などが持ち込まれてくることになります。
例えば、私たちも、何かに一時的に熱中して、ものすごく熱に浮かされた状態になる時ってありますよね。
何とも言えない高揚感、自分が何者にでもなれるような崇高な気分、
そういうドラッグのような状態になる時があると思います。
例えば、何かのセミナーに参加して、自分らしく生きましょう!とか、そのために、頑張りましょう!みたいな、皆でえいえいオー!みたいに盛り上がっても、セミナーから帰ってきて、一夜明けてみると、あの盛り上がりは一体何だったんだ?みたいなことってあると思います。
またそこまで局所的でなくても、何かの学びや、サークルや、ネットワークビジネスみたいなものでもなんでもいいのですが、一時期、数年に渡ってそれに熱中してこれさえ学んでいれば、全て真実に到達できる、みたいな情熱で妄信し、猛進するといった経験をしたことがある方もいるかもしれません。
これが全てだー!真理だ!見たくなっているときって、どれほどその集団や学びが素晴らしく見えない、自分のことを疑ってみる必要があるのだと思うのです。
それが真理かどうか、真実かどうかは別として、その熱に浮かされた。状態になっている自分を疑ってみる必要があるかもしれません。
例えば、ネットワークビジネスみたいなものに妄信して、気づいたら、短期間のうちに友達全員失っていた・・友達どころか家族まで失っていたというお話もよく聞きます。
このような状態に陥ってしまうほど、何かに熱中し、妄信してしまうときってやはり、どこかバランスを欠いている状態なのだと思います。
スピリチュアルな世界などにもそういうものが蔓延しているのではないかと思います。ビジネスの世界でも、スピリチュアルな世界でも、これさえ買えば、幸せになれると信じて高額商材や、高額セミナーに投資してしまう・・
こういったことも、一つの経験としては必要なことなのかもしれませんが、
たいがいにおいて、後から振り返ってみると、なんであんなに熱に浮かされてたんだろうって・・冷静になると分かるものです。
そして、なんだかとっても、苦い気持ちが湧いてくる・・
でも、それに熱中して、猛進しているときって、それが全てだと思っていますから、すごく高揚するし、ワクワクするし、楽しい気持ちでいっぱいになります。
ついに自分の生きる道を見つけたー!なんて、テンションが上がってしまいます。でも、だいたい、そういう風に、急激にテンションが上がる時って、その熱中している対象が、良い悪いは別として、自分の状態として、少なからず危険な状態にあるものなのだと思います。
やっぱり、その熱が、一旦冷めてからでないと、本当の継続は始められないし、
そもそも、継続してお付き合いしていくほどのご縁もないかもしれない。
それは、熱に浮かされている状態では分からないことだったりします。
獅子座16度のこの度数では、そうした冷静さ。が獅子座の世界にスーッと入ってくるのです。
風の思考、論理性、また水瓶座的な俯瞰力、物事を大枠から捉える能力、
そういう視点で獅子座的な熱狂の世界を眺めて見ると、それまでは、魂が光り輝くような情熱とワクワクを感じていた光景も、なんとも滑稽で、感情的なものに見えてしまったりするのだと思います。
例えば、獅子座的には、直感と情熱がオンの状態ですから、
自分の直感はイエスと言ってるのだから、これをやるためには、借金をしてもローンを組んでも、やってみるべきだ!となるわけですが、
水瓶座的に考えれば、今のご時世、先のことも分からないのに、情熱とワクワクだけで、何年もローンを組んでモノを買うなんて、浅はかに他ならない。それに、
これからの時代は、手を広げて事業を大きくしたり、無理な経営をするのではなく、個々がそれぞれの仕事を時間や場所に縛られず自由に行うことが出来る方がいい。とか、そういう風に考えるかもしれません。
例えば、獅子座的な演出ならば、SNSで映えるために、高級ブランドの洋服を買って、南国の海をバックに、高級シャンパンで乾杯しているところを、SNSに載せようとなるかもしれません。
これに対して、水瓶座的ならば、自分の個性が現れていればそれでいいんじゃね?みたいな感じで普段着のボロボロジーンズと髭もじゃに眼鏡で登場するかもしれない。でもなんだか、その人らしさがすごく表れていて、高級シャンパンの人よりもずっと格好よく見える、みたいなことってあるじゃないですか。
どちらが、正しいとか、上か下かではなく、どちらもの性質が合わさってここは
陰陽関係になるのです。
獅子座の16度の世界にはそうした、とても冷静で、俯瞰的で包括的、未来的な、水瓶座のエネルギーが一気に入ってきますから、
ひとつ前の度数まで、大盛り上がりだった山車のど派手なお祭りが、
なんだか、ちょっと・・・いや、だいぶ、、恥ずかしい・・・しゅーん・・・みたいな風になっているのです。
そしてそれと同時に、無理に自分を大きく見せなくていい、派手な演出に見栄を張らなくていい、人からどう見られようが、自分らしく穏やかな日常に落ち着ているほうがいい・・そういう水瓶座意識が入ってくるわけですから、なんだか元気をなくしているようで、実は、穏やかさとか平穏さを取り戻している度数でもあります。
外へ外へと演出することばかりを考えて来た、獅子座前半の物語を終えて、
水瓶座が流入することで、真の自分らしさとは何か。と、内側へ入っていく物語が始まります。
外側から認められること、周囲から賞賛されることばかりに重きが置かれていた獅子座の物語はここに来て初めて、内側の自分の幸せ。に目が向き始めます。
ここまでの獅子座の物語は、見方を変えれば、認められないと幸せではない。
周りに賞賛されないと幸せになれない。そういう在り方であったとも言えると思います。
意識は常に外側に向き、外側の反応によって、自分の幸不幸が決まる。
そういう世界に私たちはある日、ふっと疲れ果て、そういうものを手放していく時が訪れるのではないでしょうか。
この度数では、それまでの獅子座的な視点から、物の見方ががらりと代わる場面を迎えています。
日常の些細な営みの中に、本当の穏やかな幸せがあること、周りの賞賛がなくても、自分単体で、いくらでも幸せになれること、にふと、気が付き始める度数です。
それはまるで嵐が去った後の、暖かな日差しのようにぽかぽかと魂を照らすような感覚なのではないでしょうか。