人魚
A mermaid.
いよいよ獅子座も残すところあと2度となりました。
一つ前の28度では、1のスタートの資質と10のゴールの資質を持つというお話をしましたが、この度数では、次の乙女座の世界観が、入り込んできているのが
自然と感じ取れたと思います。
獅子座の魂の世界に、乙女座の形ある世界が入ってくると、
それまでの膨大な光の一点のような世界だったものが、圧縮データが
ばらばら―っと解凍されるように、膨大な情報量が出てくるのです。
解凍されてみると、思ったより、すごく容量が多かったし、フォルダの数もすごい量だった、みたいなことなのだと思います。
インスピレーションや閃きにしても、それを、形にしようとするとものすごく膨大な行動計画に落とし込まれたり、やることやtodoリストも、とても細かいタスクに分類されます。
目標が、一点に集中されたものであればあるほど、分解してみるとすごい情報量とタスクになるということなのだと思います。
例えば、一瞬の閃きとかアイデアが降ってきた時など、それは、本当に一瞬の出来事なのだと思いませんか?
瞬時のその閃きによって、全てが分かってしまったり、一瞬にして一生かかるような、壮大なイメージやビジョンが降りてきたりすることもあります。
また、何かパッと思いついて、それを作品にしようとか、文章にして表現しようとすると、創作する技術力や、言語能力が追いつかなければ、当初閃いたものとは程遠いものが出来上がってしまうということもあります。
獅子座の最後の度数では、自らの魂の夜明けを体験したのですから、
それは、一生かけて挑み、形にしていくような、壮大なものでしょうし、
その人の魂そのものを表すようなものなのかもしれません。
それが、細かく分類分けされ、現実世界でのタスクに落とし込まれ、
環境という条件の中で、それを体現していこうとするのが、乙女座から始まる物語なのだと思います。
獅子座から、蠍座までの、4つのサインは人間関係を学び、その学びを通して、
無意識の感情の自分に出会っていく物語でもあります。
獅子座における人間関係とは、あくまで自分が主役で周りは観衆という関係性から始まっていきます。
しかし、獅子座の最後の度数までで、獅子座の主たるテーマである、自らの魂に出会うというところまで進んで来ると、今度はそれを形にしていくために、
現実世界と関わっていかなければならないということが分かります。
実際の世界の中には、自分以外にもたくさんの人たちがいて、
獅子座の前半もストーリーのように、自分が王様で、周りは観衆という関係性でもなく、また獅子座の後半の物語のように、身なりを気にしない男、などのように
周囲の目を全く気にせず、自らのやりたいことだけに集中するという在り方でもまた、うまくないのだと思います。
沢山の人がいる中で、また肉体的物質的条件下の中で、自らの魂の意志を体現していこうとする時、イメージとか印象、というものは、様々な分類にカテゴライズされていくものなのだと思います。
一点のイメージに向かい、日々細々コツコツとタスクをこなしていく、このとても地味な道のりが、魂を生きる。の本質なのではないでしょうか。
獅子座の29度は、人魚、となっています。
29は11で2ですから、拮抗しあう性質のもの同士の比較が起こっています。
ここでは、現サインである獅子座と次のサインである乙女座の対比が起こっているのです。
一つ前の度数では乙女座の匂いが感じられましたが、この度数では、乙女座と獅子座のエッセンスが1対1の割合くらいまで高まってきているのです。
人魚は、半分人間で半分魚。という空想上の生物ですが、魚が出てくるときは無意識とか潜在意識などの右脳的な世界観を現わします。
そして、人間は、左脳的で、思考的な、乙女座を表していると思われます。
右脳的なサインとしては火のサインと水のサインとなりますが、ここでは、火のサインの魂のインスピレーションの世界が、水や魚の性質を通して(媒介して)
乙女座の形ある世界に降りてきているのがイメージできます。
この度数は、右脳的なものと左脳的なもの。
非物質世界と物質世界。といったものが、水という媒介ツールを通して、
形のないものが形のある世界へ降りてきている、また
形のない世界とやり取りをしている、そんな印象が浮かびます。
火のサインの後には、地のサインが来ますが、
牡羊座から牡牛座、獅子座から乙女座、そして、射手座から山羊座、この火サインから地サインへの移り変わりは、魂の閃きという時空を超えたものが、
形のある世界に降りてくる場面なのだと思います。
私たちは、イメージすること、閃くこと、また空想し、未来を描くことというのは、
誰しもするのだと思います。
しかし、それを、実際に実現しようとすると、とても長い時間とか、沢山の努力を要したりするものですよね。
それが、感情気分から現れる、短期的な感覚的な欲求であれば、それをすれば一時的に快楽を感じて、それはすぐにまた次の欲求へと移り変わって行きます。
私たちはこういった短いサイクルの欲望、欲求というものを沢山持っていて、それは、次から次へと、移り変わって行くような、ほとんど意図も根っこもないものです。
魂の意図が思い出せないうちは、私たちは、人生のほとんどをこの感情気分の欲求を満たすことで、日々なんとなく、自分を満たしているような気分になっています。
しかしそれは、真の喜びや満足とは程遠いもので、満たしても満たしても満たされないような類のものです。しかし、獅子座のこのあたりの度数で描かれている、
イメージとは、そういう日々の感情気分から起こる欲求欲望とは、全く違うものであることが分かります。
それは、ふわふわと生理的なサイクルで移り変わるような欲求ではなくて、
生涯をかけて形にしていこうとするようなビジョンです。
それは、その人が、どう生きたいか、どう生きるか、そのものに関わってくるような
ビジョンなのだと思います。
ここまでの過程で、周囲のことは全部指し置き、自分だけに全集中してきた過程が、獅子座の後半の物語にはありました。
そして、ようやくここに来て、いよいよ、実際に閃きを形にしていく準備が整ったのです。
それはいつだって、水を介して行われるのだと思います。