住居を移動するペリカン

Pelicans moving their habitat.

サビアンにおける19度は5度区分ずつのグループ分けにおける第4グループの4番目の数字です。

第4グループでは、反対側のサインの陰陽の性質が入ってきて、

一度、大きく世界観が崩れ去り、崩壊した後に、両極の性質を統合した形での再生が始まる場面でもあります。

射手座16度では、一度、棄て去り、自分だけの世界へと逃避した後、

今いちど、俗世に戻り、どうすれば、自分の高尚な考え方や、

獲得した高度な知識といったものを、多くの人に理解してもらえ、

活用してもらえ、役に立つことが出来るのか、という、新たな模索に

入っていったのが、16度の船を見ているカモメの度数だったと思います。

そして、17度の復活祭の日の出の礼拝では、俗世に返り咲き、

一般の人たちに自分のオタクで風変わりな知識や考え方を、受け入れてもらうような体験をしたり、自分のやってきたことが役に立てるかもしれないという可能性を感じて、復活を祝祭しているような場面が描かれていたと思います。

そして、次の18度の日除け帽を被っている子供たち、の所では、

自分の早すぎる価値体系や、高度すぎる知識体系が、もたらす、弊害とか、それを湾曲して受け取ってしまう人たちとのミスコミュニーションだったりといったことに葛藤が起こっている場面なのではないかと思います。

また、一部の意識が高い人には理解されることでも、世の中の一般的な大部分に理解を得るにはまだまだ、時代がついてきていなくて、孤独であることには変わりはありません。

最初からそのことを分かっていて、でも、この社会の中で自分の生きていく場所を見出したくて、16度の、船を見ているカモメの度数では、

自由な大海原からあえて、全てわかったうえで、船という狭い集団世界へと舞い戻ったわけですが・・

でもやっぱり、この狭い世界でただ、生きていくのは、この人にとっては窮屈すぎるのです。

全くの共通言語を持たない人たちばかりのいる世界、

それでも、彼らの役に立ちたい、伝える努力をしようと、挑んだのだけれども、そして、少しは成果も出せたし、共感してくれる人もいた・・

でもそれでもやっぱり、疲れちゃうんだよね。結局さ。

というところを描いているのが、この19度なんだと思います。

でもだからといって、また船を降りて、ドロップアウトしようというのではなく、あくまで、船に乗ったままで、その中で、自分が楽に呼吸が出来て、ある程度自由に生きられる場所へと、移動していこうとする。

牡羊座の19度は魔法の絨毯、獅子座の19度はハウスボートパーティという度数で、どちらも、精神性の高まり、意識の成熟と変化によって、

住む場所や、立ち位置を変えていくということを言っている度数です。

牡羊座の19度は、意識の飛翔と共に、魔法の絨毯が現れて、

空を飛ぶように、今いる現実が変わっていく、現実を創造していく世界観が描かれています。

獅子座の19度のハウスボートパーティでは、周りからどう見られるかよりも、自分自身の真の創造性を生きると腹をくくった人が、環境や、関係性に依存するのではなく、自分の意識の変化とともに、住む場所や人間関係も、自由に変えていく。自分で選択していくというステージが描かれています。

私たちは、意識の階段を上るごとに、環境が変わるのは自然なことなのだと思います。

住む場所が自然と変わり、付き合う人も変わる。

それが自然なのだと思います。

本当は、意識のステージが変化しているのに、同じ場所に住み続けている、同じ人間関係をずっと続けているというのは、もしかするととても不自然なことなのかもしれない。

射手座19度では、住居を移動するペリカン、となっていて、

ペリカンというのは、とても頭のいい鳥で、人間のペットにできるくらい心を通じ合わせることもできる鳥だそうです。

また、鳥の中でも子供や子孫をとても大切に愛する種族だそうで、

ペリカンは、キリストを象徴する鳥と言われます。

18度では、自分の価値基準や哲学を理解してくれる人たちが、少数精鋭ですが現れました。でも、社会一般的な感覚からすると、この少数精鋭の集団は、変わり者の集団であり、まだまだこの社会の中ではマイノリティであり、生きずらいのです。

でも時代が10年、20年と、変われば、このマイノリティ派の人たちの考え方が、一般的になる、というのは、歴史が繰り返してきた事実を見れば分かることです。

ですから、こうした少数派の人たちが、今の社会でも、少しでも生きやすいように、ここでは住む場所、環境を移動していくのだと思います。

何もしなければ、生きづらさに押しつぶされてしまう。

今の社会のおかしな常識や、マジョリティ派の大多数の人たちの

機械的なルールに、巻き込まれて疲弊してしまう。

それが分かっているから、自分たちの意識のステージにあった場所へ

移動していくのです。

私たちの社会の中でも、このような生き方を選択する人たちが

少なからずいるのだと思います。

目を覚まして意識的に生きる人たちは、意識のステージが変わったら、

環境や住む場所も、自然と変わるものだ、ということを受け入れているのだと思います。