正装した男と、角を刈られた鹿
A man formally dressed and a deerwith its horns folded.
4の数字は、法則性を司りますから、物事を秩序化したり、固定化したり、形骸化したりする性質を持ちます。
サビアンにおける4度では、ここまでの流れを、安定化していく、土台を作っていく、また法則化していく、などの要素で働きかけます。
獅子座は火の性質の高い振動の波動を持つ性質のサインですから、4という物質的な作用を持つ数字と組み合わさることで、どのようになるのか、といったイメージをしながら読んでみると理解が進むのではないでしょうか。
獅子座の4度では、正装した男と角を刈られた鹿、というキーワードで描かれています。
4度では、獅子座の物語を固定化し、ある型にはめていくことで、定着させて行こうとする場面ですから、
3度で創造されたボブヘアーの女が、4度で、その証拠を得ようとする。
そういう場面なのではないでしょうか。
3度のボブヘアーの女は、自分が若さを保ち続けることに証拠や証明などいらなかったはずです。
ただ、活力に満ちて、ポジティブに、明るく、楽しんで生きることで、恋も仕事も、
趣味も、全部楽しみ切るようなそんな、女性を思い浮かべます。
例えば、社会の中の常識に置き換えてみると、女性の価値とは、若さや美しさで、推し量られるところがあると思います。
年老いた女に価値がないとか、そういうことを言っているのではなくて、
若いということは、価値なのです。若くて美しい女、というのは、神ほどの価値があるものなのです。
若い女性とは、絶対的に価値のあるもので、若いということは美しい、ということです。これは、どんなに抗っても事実なのです。
年齢を積んでいくと、誰しも若さを失っていきます。ですから、自分自身の存在自体で勝負することになります。
若いうちは、何にもしなくても美しいし、価値があるし、健康も元気も保たれるのです。
でも年を行くと、元気や健康を保つのもボーっとしては、為されません。
意識的でないと、それはすぐにバランスを崩すし、若いころは何にもしなくても美しかった顔も体も、意識を及ばせていないと、どんどん意識の通りになっていきます。
よく、40歳を過ぎた顔は自分の責任、と言われますよね。
美容や、健康に気を使うだけでなく、その上で、どのように生きているか、どのように想い、どのように考え、どのように存在しているか、そのものが顔に全部出てくる。
ですから、若いころにどれだけ美しかった人も、生き方によっては、40代、50代を過ぎると、若いころの面影が全くなくなってしまう人もいるし、
逆に、若い時はそれほどでもなかった人も生き方によっては、老いてからとても魅力的で美しくなる人もいます。
ボブヘアーの女のところにお話を戻します。
なので、3度で示された若さや活力というものは、理由を必要としなかったのだと思います。
獅子座の火の創造性とは本来、理由や証明を必要としないものです。
ただ、無尽蔵に湧いてくる活力、エネルギー。そのものなのですから。
しかし、それが、悪い形やバランスを崩した形で出ると、3度のところでも書いたように、整形お化け、みたいな化け物になったり、いつまでも金星の年齢域の意識から抜け出せない幼稚な性質の人物像となったりするのだと思います。
(金星の年齢域の人物像とは・・?動画で詳しく解説しています)
これに対して、正装した男。との対比を考えてみましょう。
3度の女性的な性質の、理由を必要としない若さや美しさに対して、
男性性的な、活力や若さの価値というのもまたこの社会にはあるのではないかと思います。
それは、理由と証明を必要とする若さであり、活力です。
自分という性質を、ただ、美しさと迸る若さで表現されたのが3度のボブヘアーの女であるのに対して、
4度の正装された男は、成功者であり、社会的に実績を積み上げてきた「証拠」を持つのです。
正装。というのは、そもそも、無人島で一人っきりで生きていたのでは、何の意味も価値も持たない、人類の不思議なしきたりです。
体を、カッチカチのスーツに身を包み、ピッカピカの革靴を履き、何の防寒も意味も為さない、シルクハットを被り、首には、リボンやネクタイを巻く。
これは、ここ数百年、とかほんの数千年の時間の中で培われてきた
人類のエゴイズムであり、周りに自分を誇示したい、自分の存在を示すための
不思議なパフォーマンスに見えます。
これが自分以外の人が誰もいない無人島で、そんな恰好をしたところで、何か意味があるでしょうか。島に生息している猿や、マントヒヒにそれを見せたところで、何か意味があるのでしょうか。
私たちが正装するときは、自分の存在を誇示したい、自分という者の価値をこの社会の中で絶対的なものにするための必要不可欠な要素になっていたりします。
ですから、地位や立場を持っている人は、正装して、社交界や公の場所に現れます。それがマナーであり、成功したもののルールだからです。
私たちホモサピエンスが皆でそう信じることで、それが価値づけられて来たのです。
獅子座4度で示される価値とは、そうした証拠に裏付けられた価値。なのです。
本来、自分の価値を感じるのに、照明や理由はいりません。
私たちは、ただ存在しているだけで、価値、そのものなのですから。
3度のボブヘアーの女は、まだ、その本来のシンプルな在り方に近い性質なのかもしれません。
しかし、4度では、それを、法則付けたい性質が働きますから、
正装して、価値を定着させようとしている様子がイメージされます。
反対側の水瓶座4度ではインドのヒーラーとなっており、3度で、社会から逸脱した脱走兵が、今度は、自分にしかないスキルと専門性で、一匹狼で生きていこうとしています。
反対側のサインのサビアンと、陰陽の性質を持ちますから、獅子座4度のこの度数では、反対に、自分。という価値を、社会の中で、周囲の人たちの中で、
絶対的に証明付けしようとしているのが見てとれます。
水瓶座は社会から逸脱していく革命意識なのに対して、獅子座は、
社会の中から賞賛されるために、自分の本来の創造的資質を、集団の価値として証明付けしようとしている。
ですから、ここでは、角を刈られた鹿、が出てきていますが、おそらくこの鹿は、
本来、自分の本質の価値とは、周りの集団の意識に沿わせて、価値づけするものではないものを、自らのエゴと不安の為に、価値づけしようとすることで、
自分の力を人に知らしめたい、見せつけたい、存在を誇示したい、としようとすることで、本来持っていた、角を刈られてしまった鹿が描かれているのではないかと思います。
角さえ持っていれば、いつでも裸一貫、自分をやり直せるし、
自分の中の獅子の資質を目覚めさせて、幾度でも創造を行える。
しかし、創造の鍵であった、角を明け渡してしまったら、集団の中で賞賛され、
価値づけられるという一時的な安堵は得られるかもしれませんが、
それは永続的な創造ではないし、いつかは変わりゆく、無くなるものです。
普遍的な価値とは自分の中にしかないものだからです。
ですから、この4度では、創造性という角を明け渡しても、周囲に価値づけし、
賞賛されようとする、獅子の意識が、とても深く表現されており、
この資質もまた、獅子の意識の通る道であることを、物語っているのだと思います。