正午の昼寝
A noon siesta.
14の数字のエネルギーは、9で割った数字のグループでは、第2グループの5の数字になります。
第2グループは、自分だけの世界、潜在的な世界の第1グループから、11以降、世界と、関り、対峙し、世界の中で、自分の意思を反映させていくという場面に入っていきます。
その中で、14は、土台に5の性質を持ちますから、2という土台の上に、5がのっかってるような場面が14です。
ですから、本来の自然数の5では、自分の個性を世界に向けて放つ、挑戦し、冒険し、創造性を表現する。というのが、本来の5のエネルギーですが、14では、その5の性質が、内側へ向いて働きます。
ですから、5の創造性の表現や、挑戦、といったエネルギーが自分自身の内面的な場面で行われることになります。
ですから、本来、5は、表現したことに対して、周りの観衆や拍手を必要とするのに対して、14では、周りからの承認を必要としません。
自分の中で、挑戦し、働きかけ、創造し、表現し、それを自分自身で受け止めていきます。
そうして、自分で、自分自身を誉め、讃え、また時には自分で自分を叱り、ダメ出しをし、足りないところを都度修正し、直していこうとするのです。
なので、14では、周りからのレスポンスを必要としていない分、エネルギーの無駄漏れがないのです。
本当に集中状態に入ったときというのは、周りの声や意見は、関係ないものです。
それよりも、自分自身に集中し、誰よりも深く自分自身と向き合い、一ミリの隙も無く、自分自身の向かってる目標に対して必要なことを行っていきます。
14は偶数ですから、本来、陰の要素の数字ですから、傍から見ると、とても地味で静かに見えたりするし、目立つ時ではないのですが、
自分の中では、5が働いているわけですから、非常に果敢に働きかけ、集中した活動状態にある場面なのです。
サビアンで、14度も、そのような、エネルギーで働きますので、静かだけれども、次なる最高のクライマックスである15度に到達するために、非常に深く強い集中状態に入ってる物語が描かれているのです。
一切の、エネルギーの無駄漏れをしてる暇もない、一点集中状態、それが14の数字のエネルギーです。
天秤座14度は、正午の昼寝。となっています。
なんだか、次の15度でクライマックスに向かうとは思えないような、平和さ、怠けっぷり、という印象を受けますが・・・
しかし、11度から15度までの天秤座第3グループのテーマは、天秤座のテーマである、世界との関りを能動的に執り行っていくための知恵の開発、でした。
そのために、11度では、教える、という行為に挑み、12度では、危険を冒しても、自分自身の一番深いところに潜り、対峙してきたわけです。
その反作用として、13度では、無限にアイデアが浮かんでは消え、浮かんでは消え、という、いわば、「知の暴走」のような場面が起こっていました。
これは、脳が開発されてきた証拠で、ただ、13度ではまだ、それを上手にコントロールする意識の力が育っていないから、アイデアが止まらなくなってる状態です。
アイデアや閃き、チャネルや、ダウンロードなどもそうでしょうが、
何をどのくらい受け取るか、というものを、上手にコントロールできないと、
ただ、ばらばらばらばらと無数にイメージだけ降ってきて、一向に、実態が掴めない、という、ある種の躁状態のようになる過程があります。
しかし、この状態だといくらアイデアが降ってきても、内容をきちんと掌握することができませんから、全体像を掴めず、一つのイメージに落とし込むこともできないので、一向に、一つも形にならない、ということが起こってきます。
よく、SNSなどを見ていると、「閃きました!」とか「ダウンロード来ましたー!」みたいな感じで、あんなことを思いついた、閃いた!だからやってみよう!みたいな投稿をしているのをよく見かけます。
閃き自体はきっと、その瞬間は素晴らしいものだし、とても夢が広がるのはわかるのですが、後々の経過をみていくと、それに実際に着手することはめったにないし、着手したとしても、長く腰を据えて取り組む、ということにはほとんどの場合、至りません。
アイデアや閃きというのは、脳の状態が活性化しているときや、感情や体の調子がいいとき、星回りや月の配置や天気が良いとき(笑)などなど、いつでも降りてくるものです。
しかし、それを、実際に、実行に移し、長い間取り組んでいく、というのは、もう少し、別の心の要素、意識の作用が必要なのではないかと思っています。
アイデアや閃きというものは、得てして、取りにいって、とれるものでもない、というのが結局のところなのではないかと思います。
ちょっとした、閃きとか、アイデアであれば、取りに行って、とれることもあるし、
仕事や業務上、アイデアが必要な方もあるでしょうから、資料を調べたり、
セミナーを受けたり、こうした、探求を通して、その時に必要なアイデアを引っ張ってくる、ということはできると思います。
しかし、生涯に渡り(そこまで大げさでなくても)、長きに渡り、取り組んでいくようなアイデアや閃きというものは、たいがい、取りに行ってとれるものではなく、
自分が思いもしないタイミングでやってきたりするものです。
また、この度数の、キーワードにもなっていますように、正午の昼寝、のような受動的な状態に入ったときに、訪れるようなものなのだと感じます。
これは、アイデアを取りに行こうと思って、わざと昼寝をしたからといった必ずしもとれるわけではなく、あくまで比ゆ的な事柄で、
私たちは、何か、深い目覚めが近づいたときや、人生において、シフトやステージが変わる場面において、アストラル界以上の高次の世界と、物質的な現実世界との扉を行ったり来たりするような時期が、あるのではないかと思います。
そういう時は、大概の場合、外に出てバリバリ能動的に活動しているときや、
たくさんの人と毎日会ってるようなときではなく、
何かすると、眠りに落ちてしまうような、気づいたら眠りに落ちているような状態だったり、何かを考えようとすると眠くて眠くて仕方がない、みたいな状態になったりするときに、大概、強く、アストラル体以降の高次の世界と行ったり来たりしてる時なのではなかと思います。
それは、能動的に取りに行ってとれるものではないし、(この状態を越した時に、意識的に、必要な情報をとれるようになるのだと思います)
ただ、体の要請するままに、休み、眠り、休息する。
もうそれ以上でもそれ以下でもない、というような状態になるのかもしれません。
私たち、現代社会では、毎日の仕事の予定が決まっていたり、月曜日から金曜日までは仕事で、何時に起きて、何時に会社に行ってと、決まっている人が多いと思いますので、なかなか、この体の要請に従って、寝続ける、ということは難しい方が多いのかもしれませんが、
目覚めと気づきの時には、往々にしてこういう不思議な状態になるものだと思います。
ここで、仕事だからといって体の要請に従わず、眠くてしょうがないのに無理して起きて、働いたり、家事や子育てをして頑張ってしまうと、せっかく目覚めかけた意識がまた、眠りに入ってしまい、日々の目の前の物質的な事柄に、かき消されてしまう・・ということなのかもしれません。
アイデアや閃き、チャネルやダウンロードといったような重要なメッセージを受け取るときや、その場限りの閃きではなく、人生において、長きに渡って、作用するような閃きを受け取るときというのは、得てして、それを取りに行こうという能動的な状態の時ではなく、まったくそれを忘れていたり、手放していたり、体が眠くてしょうがないようなときであったり、するものなのではないかと思います。
もちろん、日々、忙しく何かに集中しているときにも、そういうことが起こることはあると思いますし、人生において壮絶に何かに集中してるときに、そういった重要な印象を受け取るときもあると思います。
いずれにせよ、取りに行こうとしているときではないように思います。
だから、今は、重要なひらめきを受け取るために、休息しようと思って、昼寝したとしてもそれは、とれるものではないし、
単に、今は疲れてるから自分を労って、いついつまで休もうという、限定的な、いわば、コントロールされた休息。では、ないのだと思います。
私たちは、休息するとき、週末は休みとか、いついつまで夏休みをとるとか、そういう風に、休みを前もって、限定して休みを取ると思います。
いつまで休みになるか分からない、それは体の感覚次第・・といった感じで休みに入る人はあまりいないと思います。
そんないつまで休むか分からない休みなんて、単なる怠惰であり、怠けだろう、みたいに思われるかもしれませんが、でもそうではないのだと思います。
私たちの体はすべてを知っていて、必要なだけ休んだら、あとは自然と浮上するようにできているし、それまで、必要なだけ休むことは怠けでもなんでもなく、むしろそうしなければならないものなのだと、思います。
逆に、週末だから休む、ゴールデンウィークだから休む、夏休みだから休むとかではなく、それだと、まだ活発に活動したいのに、無理に休みに入ってしまうこともあるでしょうし、
本来、自分が休みたいときに休む、必要な時に、体から休息の指令が出たときに休む、そういうことをしていかないといけないのだと思います。
そうやって、体を素直に素直にしていく・・
そうすることで、この正午の昼寝、のような状態に入るときが訪れる・・