逮捕された二人の男
Two men placed under arrest.
サビアンでは、どのサインでも、16度から20度までは、5度区分ずつにおける、第4グループで、ここでは反対側の陰陽の性質のエネルギーが流入してきて、
一度大きく挫折を体験し、破壊と修正が行われる場面が描かれています。
16度で大きく破壊が起こり、17度、18度と、とても微細で内面的な部分に潜りこみ、深く、繊細な意識を体験していくことで少しずつ、気づき、新しい意識に目覚めていく体験をしていくのです。
18は、9で割った数字のエネルギーでは、土台に2を置いた9の数字になります。
9は、精神性への統合とか、心や無意識への目覚め、目には見えない世界への旅路、などといった意味合いがあり、それが18では、2を土台に展開されますから、
より内側へ、より心の内面への精神的な旅路という風になります。
タロットカードでは、18は、月のカードで、ここで、月の扉を開けて、それまでの物質的な肉体だけの自分から、魂の自分、多次元の自分への、扉を探り当てる場面になります。
ですから、月のカードはとてもスピリチュアルで、内的な作用に深く潜っていくエネルギーを持つカードです。
サビアンにおける18度もまた、こうした、内面的な作用の強い度数になります。
16度で経験した、大きな挫折体験を糧にして、深く深く潜り、気づいていく場面です。
私たちは、挫折体験や、傷つくことを、良くないこととして、すごい勢いで避けようとしますし、挫折は、あってはならないもの、傷つくことは絶対に避けなければならないものとして、排除し、見なかったふりをしようとしますが、果たしてそうでしょうか。
私たちは挫折や大きく傷ついた体験を通して、こういったときに、とても大きな目覚めや気づきの体験をするものなのではないでしょうか。
大きく傷ついたとき、
とても悲しい出来事があったとき、
最大級に困ったとき、
こんな時にこそ、私たちはそれまで見えなかったものが見えてきて、
気づけなかったことに気づくことが出来、目覚めていくことが出来るものなのではないでしょうか。
だから、悲しいことも、傷つくことも、恩恵なのですよね。
このことがあったから、気づけた、その後の人生の幸せへの道筋となったということがたくさんあるのではないでしょうか。
悲しみや傷ついた体験を、被害者意識や、他人のせいにせず、無かったことにせず、自分の人生を良くするために、気づきのために起こってる出来事だと受け止めて、向き合うと、何かしら、大きな気づきを得ることが出来るものだと思います。
17度では、自分を見失って、自信を無くし、生き方の指針も見えなくなり、さまよい、引きこもっている状態が描かれていると思います。
しかし、こうした大きく傷つく経験をしたからこそ、人の気持ちがよく分かるようになるとか、いろんな人がいることを理解し、受け入れられるようになる、違いを認められるようになる、また、自分を大切にすることが出来るようになる・・
そうなるためのあらゆる懊悩が17度では経験している最中なのではないでしょうか。
こうして、18度になると、逮捕された二人の男。というキーワードになります。
二人のという、2の数字が出てきていますので、両極の何か、性質の異なる何か、
であることが見て取れます。
男、が出てくるときは、象徴として、漸進的な状態、能動的な状態、が読み取れます。
ここでは前向きに何かをしようとしている男性性の性質と、
2という数字から、女性性、保守性、感情や内面的な要素、両極性も出てきていることが分かります。
そして、逮捕された。となっていますから、何かしら常軌を逸した状態であることが見て取れます。
ここまでの流れで天秤座は、牡羊座的な、わがままで、自分勝手、我が道を生きるタイプの人間に、人生を振り回され、かき乱され、ひっくり返されてきました。
しかし、今度はそうした、個性的で、常軌を逸したタイプの人と、二人で捕まっちゃってる様子が描かれているのではないでしょうか。
16度、17度の流れでは、天秤座タイプの人は、牡羊座タイプの人が理解できず、
理解しようとしても、飲み込まれ振り回されるばっかりだったのが、
18度では、そういう人と、能動的に関わってみようとしている様子が見て取れるのではないでしょうか。
一度は、振り回されて、人生めちゃくちゃにされたけど、でも、なぜだか、この人との関係性を学ぶことが自分の人生にとってとても必要なことのような気がする。
理解できない、もう嫌だ、として、シャットダウンしてしまうのも、一つの手段ではありますし、そうしなければならない関係性も、あるのだと思います。
しかし、ここでは、自分の見えてない、もう片側の側面を見せてくる、学ばせてくれる相手だと気づいたからこそ、もう一度、関係性を構築してみようとする場面ではないかと思います。
こうして、とっても個性的なタイプの人と、一緒になって、遊んでしまった結果、
気づいたら、逮捕されてた、というオチなのではないかと思います。
法律、というものは、天秤座を象徴するものですが、法律って、この世に一人の人間しか存在しなければ必要のないものです。
人が一人しかいなければ、自分の好きなように生きればいいからです。
何をしたって、誰にも咎められません。
でも、人間が二人以上いる場合、必ず、意見の相違が起こってきます。
そして、どちらもが、自分の考えが正しいとした場合、そして、どちらもが譲らない場合、ここに、仲裁するもの、法律が必要になります。
法律がなかった時代は、暴力により、強いものが弱いものを制し、強いものの意見が通ってきた歴史があります。
そして、その後、権力や財力により、持つものが持たざる者を、制圧するという歴史に入っていきます。
今の現在もまだまだそういうところがありますが、でも一応、私たちの世界には法律があって、その法律の下に、お互いの意見の相違を仲裁する手段となっています。
なので、牡羊座的な世界というのは、我が道の個性を行く世界ですから、
本来、相手は存在せず、意見の違う人とか、他人の意見とか、そもそもない世界なので、法律、という概念も牡羊座ワールドには存在しないのです。
だから、好きなように遊ぶ。
でも、こうして、好きなように楽しく遊んでたら、悪気ないんだけど法に触れてた、ってことが、起こってくるわけです。
だから、自分がやりたいことを、この社会の中で表現していくには、法律を学ばなければならないのですよね。
自分は良かれ、と思っても、誰かにとってはそうでないことがたくさんあるからです。
その折衷案を取ってくれるのが法律、になるわけです。
18度のこの度数では、牡羊座的なワールドを学んでみたい、自分の足りない片側の世界を埋めるために、牡羊座君と、戯れてみよう!と思って、新たな挑戦をした天秤座君が、牡羊座君と遊んでいるうちに、お縄になってたというお話なのだと思います。
18は、深く内面的な世界に入っていって、微細な感情の世界から、真の気づきを得るという数字のエネルギーであることをお話ししました。
ここでは、反対側の性質の世界観を受け入れることで、自分の見えてない無意識の片割れの世界に気づいていく。
それは、まぎれもなく、自分自身だからです。
人は誰でも無意識の、向こう岸の世界を持っていて、それに気づかず、見えなくなって生きています。しかし、その見えない、向こう岸の世界が、無意識であればあるほど、人生はそれに足元を救われるものなのです。
だから、苦しくても辛くても、見えない向こう岸を手繰り寄せる。
見えない向こう岸に意識的になり、統合的な自分になる挑戦なのです。