船を見ているカモメ

Sea gulls watching a ship.

サビアンにおける16度の度数は、どのサインでも、反対側のサインの陰陽の二極の性質の、エネルギーが流入してくる場面です。

正反対の陰陽のエネルギーが流入してくることで、それまで15度までの前半の物語で、純粋に、ストレートに、そのサインのテーマを、一直線に育ててきた世界に対して、見たことも聞いたこともない、正反対のエネルギーが入ってくるわけですから、16度では、ここで一端、そのサインの世界観が崩壊し、崩れ去ります。

タロットカードでは16番の大アルカナは塔のカードですが、

ここで、15度、悪魔のカードまでで育ててきたパワーの世界、エゴの世界が、崩れ去り、バベルの塔が崩壊するような世界が、16番の塔のカードでは訪れます。

サビアンにおいても、16度はどのサインでも、そういった度数になります。

射手座のここまでの物語は、14度までで、精神性の探求という行者としての生き方、自らの魂の意図に接触するために、専門分野を極め尽くす生き方がマックスにまで到達し、超常的な意識まで使えるようになり、

専門分野における、閃きや、アカシックレコードのような誰も知りえないような知識を、上からダウンロード出来たりするようにまでなってきていました。

こうした境地に入った人というのは、俗世的な境地では、なかなかその能力の落とし所が見つけられず、俗世から離れ、世捨て人のようになって生きる人も多いのだと思います。

そうしたほとんどの人に理解されることがない究極的なオタクのように位置付けられてしまった人は、世の中から離れて、土を掘って、巣穴を作って暮らすグランドホッグのような生き方をするようになります。

射手座15度では、こうした世界観が描かれており、冬の終わりに冬眠から覚め、地上に出てきて、自分の影を探し、もう春が来たかな?

安全かな?という慎重な確認を行っている場面が描かれていました。

これは、射手座的な究極的な意識に到達した人が、世の中から理解されることなく世を捨てて生きていたけれども、反対側の双子座的なエネルギーの流出が次の16度のサインから起こるのをなんとなく察知して、

もう一度、俗世に戻ってみようと、少しずつ、お伺いを立てているような姿なのです。

射手座の世界が、究極的な自分自身の魂の意図を追い求める、ストイックな知的探求なのに対して、双子座の知的世界とは、

生きるための知識を、集めてくる性質になります。

射手座の知的探求の問いかけのテーマが、例えば、

人はなぜ生まれてくるのか?とか

宇宙の端はどこにあるのか。みたいなことなのに対して、

双子座の問いかけとは、

原始時代の人であれば、火を起こすにはどうしたらいいか?とか、

現代人の私たちであれば、パソコンの使い方を覚えないと

生きていけないよね、

みたいな知識になるのです。

双子座は風のサインですから、風のサインの性質とは、

広がり、集め、そして、異化し分化する性質なのに対して、

火のサインである射手座の性質は、

高め、極め、一点集中し、上り詰めていく性質になります。

ですから、双子座の知的探求が、生きるために必要な知識をたくさん集め、そしてその沢山集まった情報や知識の中から、実際の仕事や生活に使えるモノと、そうでないものに分類していく作業になるのに対して、

射手座の知的探求とは、自らの魂の意図に接触するために、

専門分野を極めたり、精神のことや哲学とか、宗教とか、そういった

目に見えない世界のことを探求して、自らを高め深く向き合っていこうとする性質になります。

こうした自分の魂の世界に、一点集中していったのが、射手座の15度までの前半の物語だったわけですが、これを極めたことで、俗世間では、理解されず、究極的なオタク世捨て人として、巣穴に籠っていた射手座的な人が、

16度では、船を見ているカモメという度数によって、俗世に少しずつ歩み寄ろうとしている場面なのです。

船というキーワードが出てきていますから、海がその背景にあることがイメージできます。

海は、潜在意識や集合無意識、集団意識を現します。

海に浮かぶ船は、集合無意識を、狭い範疇に集大成したものとして

表現されているのではないでしょうか。

私たちの社会は、集合無意識という巨大な化け物によって、実際動いているのですが、その中でも、ある一定の考え方とか、価値観が、正しいものとか、正義とか、悪とかという基準があり、その時代とか、その国によって、正しさや正解が、ある程度、決められていて、私たちの個人の意識も、無意識でそこに沿うて生きているのです。

こうした、「大部分の人が従っている」意識、というのが、私たちの社会には存在し、その意識に無意識で従っている人たちが、乗っているのがこの船です。

船に乗っていれば、とりあえずは、巨大な集合無意識の化け物の海に

放り出されなくて済みますし、そのなにがあるか分からない海を泳がなくても済みます。

でも、ここまでの射手座の物語では、その船に乗って生きるような

窮屈で、狭い世界に閉じ込められるのはまっぴらごめんだったし、

船の外にある広大な世界に触れてしまったのがこの人なわけですから、

船の中の人たちから見ると、得体のしれない変人、という位置づけに

なったのでしたよね。

でも、16度で、双子座の世界が流入したことにより、膨大な集合無意識の世界を悠々と泳いでいるカモメは、船に興味を持ち始めます。

かつては捨てた、俗世の世界を象徴する船。

ここにまた、接触していくことで、これまで自分自身が手に入れてきた

精神的な高みの世界を、下界にも適応する範疇がないかと、探り始めているものと思われます。

これは、ここまでの射手座の世界を極め尽くしてきたことで、結局、

世俗的な場面での、落とし所を発見できず、一心不乱に極めてきて精神世界の知識も、スピリチュアルな能力も、そのままでは、この俗社会では一向に、使い道がない、使える場面が見つからず、グランドホッグに象徴されるように、土に穴を掘って生きるしかなくなった人が、

魂の探求を極めるのは、大事なことかもしれないけれど、

周りの人たちとの関りや、コミュニケーション、人にわかる言葉で話せること、などがなければ、それは、単なる自己満足で、何の役にも立たないことだった、ということに気づくのです。

趣味でいいのならそれでもいいんです。

一生、一人でその趣味の世界を探求し、楽しみ続けることも可能だからです。

しかし、射手座とは、次に山羊座がやってくる、9番目のサインであり、すでに社会的な性質を兼ね備えてきています。

自分が学んだこと、極めたことを、単に自分が楽しむだけでは、どうしたって、満足できないことをまた、知るのです。

自分の高い精神性は、そのままに携えたまま、なんとか、野に下り、

俗世の中で、生きていきたい、自分を生かせる場面を見出していきたい、そう思った射手座的な人が、カモメになぞらえられて、

俗世の集団意識を象徴する「船」の周りをうろうろと飛び回り、中の状態を偵察しているのが、この度数ではないでしょうか。