復活祭の日の出の礼拝

An Easter sunrise service.

サビアンにおける17度の度数は、一つ前の16度で、反対側のサインの

陰陽の正反対のエネルギーが流入して、それまでの世界がいったん崩壊し、大きな挫折体験をする場面として、描かれます。

ここで一旦、サインの前半で、育ててきた世界観が崩れ去り、

ま反対側の価値基準を受け入れることで、陰陽のバランスが取れた、二極性を統合した真の成熟のストーリーへと入っていくのが、

16度以降の後半の流れになります。

射手座16度では、船を見ているカモメ、となっておりました。

射手座の前半の物語で、魂の意図に接触し始めた人が、精神性を高め、

見えない世界の探求をし、専門分野を極め、精神の究極的な高みへと到達した場面が描かれていました。

こうして、高い成熟した精神性と、他に追随を許さない専門知識を持った人物像は、自分の魂に接触し、崇高な意識を手に入れるに至るのですが、このようになった人物は、自分の世界観がはっきりと出来上がっているものの、自分の持っている専門知識や、究極的な高い精神性の世界観を、他者と共有することが出来なかったり、他の人が分かるように説明することが出来なかったりして、何時のころからか、

単なる変人、得体のしれないオタクとして俗世間から位置付けられるようになってしまいます。

どれだけ真理を探究していても、スピリチュアルな意識に到達していても、これからの時代や、今の世の中にとってとても大切な知識を持っていても、それを、他者に伝えることができなければ、他の人にも分かる言葉で話すことが出来なければ、単なる自己満足のマスターベーションに過ぎないということになってしまいます。

射手座の統合的なテーマは、自らの魂の意図や、高い精神性にて獲得したスピリチュアルな意識や、高い専門スキルや知識を、世の中のために役立てることにあります。

ですから、自分だけ分かればそれでいいと、他者や社会に歩み寄ることをしなければ、山の中で暮らす仙人のようになってしまい、それこそ、

グランドホッグの如く、土に穴を掘ってそこで、暮らすようなことになってしまうのです。

ですから、一つ前の16度では、海に浮かぶ船という世間一般的な集団意識の象徴に、歩み寄り、そこで、活動の場を見出していこうとする場面が描かれていました。

射手座17度は、復活祭の日の出の礼拝、というキーワードになっています。

復活祭(イースター)は、キリストが十字架に架けられてから復活する日を祝うお祭りですが、春分の日から数えて最初の満月の次の日曜日に行われる大イベントです。

キリスト教徒が多い、アメリカやカナダ、イギリスでは、クリスマスより盛り上がるくらいのイベントなのだそうですが、

ちょうど春の季節に行われることから、春の到来を喜び、祝うお祭りでもあるということです。

射手座の15度では、自分の影を探すグランドホッグ、という度数になっていましたが、グランドホッグという動物は、春の到来を、地中から出てきて、自分の影を確認することで、慎重に偵察しているといいます。

グランドホッグが、地中に戻らず活動を始めたら、それが春の到来を示すという天気占いがあるそうです。

この射手座17度では、まさに春の到来を喜び、国民総出で春を祝う

大きなお祭りになりますから、これを射手座のストーリーになぞらえてみますと、

自らの専門性や、精神性の世界に深く集中し、孤高の道を歩み、

山籠もりの仙人のようになっていた射手座的人物像が、少しずつ少しずつ、俗世に舞い戻るための偵察を行ってきた場面が、

15度、16度では描かれていました。

自分自身が手に入れた高い精神性の世界や、真理探究、専門スキルなどを、この社会の中で、実際的な場面で生かすにはどうしたらいいか、という問いかけが射手座の後半に入った度数からは描かれ始めていました。

自分が手に入れた真理や、専門知識を、単に自分の趣味として、自己満足で一生やれてたらそれでいい、とは、射手座的マインドではならないのです。

射手座のここから始まる後半の世界では、その手に入れた崇高な知性や体験を、実社会の中で、役立たせることに主眼が置かれていきます。

射手座とか9ハウスとかって、学術探求とか、大学の研究室で、ひたすらご自分の専門分野を探求している研究者とか、大学教授、みたいな社会参加の仕方が象徴される場面ですよね。

それが実際に商品になったり、売り上げや成果に繋がったりするのは、

山羊座とか10ハウスの場面になってからなのです。

ですから、射手座とか9ハウスの場面では、ものすごく画期的な、世界をひっくり返すような研究が、研究室で行われていたとしてもそれは、

まだ世に出なかったり、世に出てから、使い物になるかどうかとか、

他の勢力や権力に潰されずに、世に出るものになるかどうかとか、

それは、この段階では、まだ分からないのです。

でも、こうした次世代の世の中を救うような研究とか、

これまでの常識をひっくり返すような探求とかって、日の目に出ていなくて、常にされているのですよね。

それが実際的なものになるか、日の目を見るか、はまだ、分からなくても、自分の魂の仕事を、社会の役に立つ、世界を変える意図をもって

やり続けている人は、たくさんいるのでしょうね。

イースターは春の訪れと、キリストの復活を祝う日ですから、まさに

一旦、俗世を捨てて仙人のように暮らしていた世捨て人が、春の訪れとともに、俗世に舞い戻り、この世界で魂の意図を体現し、自分をこの社会の中で役立たせていこうと、奮い立ち、歓喜している場面なのではないでしょうか。